5.自分がいいことをしていると思わない

【目次】
1.『フクシマ漂流』〜遠回りの理解〜

2.この本自体が答えを出していない

3.「作家として語らなくちゃいけない」

4.文学作品の町が被災してしまった

5.自分がいいことをしていると思わない

6.水俣市をモデルケースとして考える

7.「反原発」を現実論にするために

  
【プロフィール】

志賀泉(しが・いずみ)
小説家。1960年生まれ。福島県生南相馬市小高区(旧小高町)出身。県立双葉高校卒業、二松学舎大学文学部卒業。2004年、『指の音楽』で太宰治賞受賞。著書に『指の音楽』『TSUNAMI』(ともに筑摩書房刊)。

ブログ「福島県原被災地区の復興に向けて」
http://ameblo.jp/sigahina/



――志賀さんのブログのトップでは、その田園風景を撮った写真を使っていますね。同ブログでは、志賀さんが双葉町へ行ったときの様子や、原発被災者に取材してのコラムが掲載されています。

東京のジャーナリストが被災地をまわって書いていることに、
基本的に賛同はしているんです。でも、共感できない部分がある。
そのズレが、もやもやとして残る。

ジャーナリストが一つの方向性を持って取材していくのと、
被災地の出身者である僕が知り合いに話を聞くのとでは、
「ズレ」が生じますよね。

その、ズレそのものを書きたかったんです。

最初に取材したのは同級生でした。
それで失敗したな、傷つけてしまったなと思ったことがあって。

やっぱりね、被災している人間は、
自分が被災者というふうに見られたくないというか、
同情の目を向けられたくないというのが基本的にあるんですよ。
被災者である、つまり同情される立場であるというのは、
「弱いもの」として見られてしまうということです。

それに対する反感は確かにありますね。


――そのように感じるというのは……?

東京にいてね、南相馬の出身であるというふうに自己紹介すると、
僕自身も被災者として見られることがたまにあります。
相手はいい人だし、ありがたいんだけれども、妙に居心地が悪くなる。
逃げ出したくなることもある。……うん。

それは人によって違うから一概には言えないけれど。
ただ、僕も同級生に対して「助けてあげたい、力になりたい」
という気持ちで接して、逆に相手を傷つけたんじゃないかっていう
怖れをずっと引きずっています。

つまり僕が浅はかだったんです。

自分はいいことをしているつもりでも、実はそうじゃなかった。
だから、その時に、これから活動していく上で
「絶対に同情しないということ」
「自分がいいことをしているとは絶対に思わないこと」
——この2つを肝に銘じたんです。

じゃあ、何をするんだといったら、
「とにかく、そばにいること」「忘れないこと」。
その意思表示を、とにかくずーっと続けていくことだと。

それだけです。


――最初のほうでお話しした「整理しきれない」感情が、少しだけスッキリした気がします。

みんな、元気だしね。意外と元気だし。

いっしょに飯食って、「お金払おうか」っていうと、
「いやあ、おれお金持ってるんだよ」って。
「義援金も入ったし、賠償金も入ったし、
おれが出すよ」なんて逆に言ってくれたりね。


避難所の女性が大事にしていたメッセージ入りの折り鶴(撮影=志賀泉)




      

  

【インフォメーション】
文芸トークサロン
映画 『立入禁止区域 双葉~されど我が故郷』上映会
“原発事故 フクシマからのメッセージ”
日程:2012年10月26日(金)
時間:18:00~20:00
住所:日本文藝家協会(地下鉄 有楽町線 麹町駅1番出口)
料金:¥1,500(当日¥2,000) ※学生・65歳以上の方=¥500引き

※要申し込み。詳しくは同会ホームページへ
http://www.bungeika.or.jp/event.htm

  


※志賀泉さんの著書『フクシマ漂流』の購入を希望される方は下記リンク先へ
http://ameblo.jp/sigahina/entry-11306881920.html


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