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FEATURE —特集—

40歳になる、わたしたちへ。 第1回/[ kei ]  「いつだって、今が最高だと思える人生を」

8月12日、自身の40歳となる誕生日にLINE CUBE SHIBUYA(※渋谷公会堂)でワンマンライブを開く[ kei ]さんは、僕と同い年のアーティストだ。彼は中学生の頃からバンド活動をしており、高校には進学せずにインディーズで活動。その後、バロックというバンドで10代の内にメジャーデビューを果たした。

当時、そのバンドは結成から2年3ヶ月という史上最速の記録で日本武道館でのワンマン公演を成功させるなど、飛ぶ鳥を落とす勢いで、僕も[ kei ]さんたちの奏でる音楽に夢中になっていた。憧れの存在、と言ってもいい。

[ kei ]さんの活動は、その後、kannivalism、baroque、BAROQUEと移り変わっていく。彼の活動歴と共に広がっていく音楽性は、私のその時々の年齢にふさわしい音楽を提示してくれているように感じた。私は[ kei ]さんの音楽と共に人生を歩んできたと言っても過言ではない。

そんな彼が、ソロアーティストとして本格的に活動を始めたのは2020年のこと。昨年には、22年間所属した事務所のフリーウィルから独立している。同事務所はDIR EN GREYら人気アーティストが所属する大手事務所だ。茨の道を進んでいるように思えた。私と同学年の[ kei ]さんは一体、今、何を考え、そして、40歳を迎えることをどのように感じているのだろうか。

<プロフィール>
[ kei ](けい)
1984年生まれ、神奈川県出身。中学生の頃からバンド活動を始め、2001年にkannivalismの『逝ってキマス。』でCDデビュー。その後、バロック、kannivalism、baroque、BAROQUEを経て、2019年から本格的にソロアーティストとしての活動を始める。現在、連続リリースの最中で、これまでにシングル『LADY BLUE』『THE CURSE』『PIXIE』が発表されている。さらに、7/1〜7まで、東急プラザ渋谷でポップアップストアを開催。8/12にはLINE CUBE SHIBUYA(※渋谷公会堂)でワンマンライブを行う。

https://kei-official.bitfan.id

40歳は人生の終わりのほうのイメージだった

――あの、いきなり話題が脱線して恐縮なのですが、私、17歳の頃にバロックのシングル『スケベボウイ』のインストアイベントで北千住の新星堂の握手会に参加したんです。その時、怜さん(※バロックのボーカル)と[ kei ]さんがいらっしゃって、握手していただいて。[ kei ]さんに「男、うれしいっす!」って言ってもらったんです。だから、今日はこのような機会をいただけて、本当にうれしくて。

そうだったんですね! こちらこそ、ありがとうございます。光栄です。

――恐縮です……! では、さっそく、質問に移らせていただきます。今日は40歳を切り口に、[ kei ] さんの生き方についてお話を聞きたいと思います。[ kei ]さんがバンド活動を始めたのは10代の頃ですが、その頃、40歳というとどんなイメージでしたか?

40歳と言えば、自分の好きなアーティストのジョン・レノンが40歳で亡くなっているんです。hideさんに至っては33歳です。若い頃は「老後はこんな風に暮らしたいな」と考えるタイプではなかったのもありますし、40歳と言ったら、自分の想像し得る人生の終わりのほうでした。

――そうですよね、10代の頃に40歳になった自分を想像するというのは難しいですよね。

でも、年齢の節目を意識することはありました。たとえば、自分は高校に進学せずにバンド活動をしていたので、「20歳までにメジャーデビューをしたい」とか。目標というか、自分なりの覚悟があって。ほかには、「自分の好きなアルバムをあの人は25歳でつくったんだ」と知れば、「すごいな」と思うのと同時に「負けたくない」と思っていましたし。勝手にいろいろな人のことをライバル視していました。

――負けず嫌いなんですね。活動するバンドの移り変わりやメンバーの脱退など、[ kei ]さんのアーティスト人生にはいくつもの節目があったかと思いますが、30歳の頃は再結成当初4人だったbaroqueが2人体制になるという大きな節目がありました。そこからですよね、バンドの表記が「BAROQUE」に変わったのは。

はい。すごく大きな節目だったと思います。自分の人生を振り返りましたし、自分のライフスタイルを大きく変えた時期でもあります。

――何をどのように変えたのでしょうか。

バンドの人間関係などのいろいろな挫折を味わった20代で、当時は毎日、酒を浴びるように飲んでいました。正直、めちゃくちゃな生活でした。そこで、今までと何かをガラリと変えないといけないと感じて。そうして、アルコールやタバコ、カフェインなどを5年ほど断っていました。これまで当たり前だったことを、当たり前じゃなくしたら何か変わるんじゃないかと思っていて。

――それが音楽の向き合い方へのストイックさにつながっていったのでしょうね。他メディアでの過去のインタビューを拝見すると、30歳になるタイミングで「自分自身という全てをギターという楽器で伝えられるようになりたいと思った」とあります。何が[ kei ]さんにそう思わせたのでしょうか。

4人体制のツインギターだったバンドが、ボーカルと自分の2人になるということで、それぞれに存在感がないとやっていけないのではないかと思いました。それが、その時の僕が感じていた壁で。作曲者がバンドのなかで自分だけになるのも初めてでしたし。kannivalismには裕地がいたし、baroqueには晃くんがいましたから。果たして、自分一人でやっていけるのかという思いがありました。そこで、ギタリストとして、自分のなかにある世界を表現できるようなアーティストにならないと、2人体制でやっていくのは難しいだろうと感じていました。

自分にとっての幸せは何か

――そうして生まれた作品が、2015年に発売したBAROQUEの『PLANETARY SECRET』です。それまでのバンドの雰囲気からガラリと楽曲の印象が変わりましたが、何があったのでしょうか。

10代から20代の頃を振り返ってみると、自分なりに挫折を味わってきて、結構苦しかった時期も多くて。生きづらさを感じていたこともありましたし、自分自身のことが好きになれなかったり。そういうのを一回、まっさらにしたかったんです。そこで、「自分は何をしていたら幸せなんだろう」「自分って、どういう人間なんだろう」ということを初めて本気で考えました。

それまで、僕って不満だらけだったんですよ。バンドにしても、「どうしてうまくいかないんだろう」とか。でも、結局、自分はうまくいかないことを他人のせいにしていたということに気がついて。

そこからです。バンドも「2人しかいなくなっちゃった」じゃなくて、「もう1人一緒にやってくれる人がいる。じゃあ、自分は何ができるんだろう。何がしたいか」ということを深く考えた結果、音楽性にしてもアートワークにしても、本当に好きなことを納得できる形でやろうと思えました。

――その頃から、バンドのアートワークがより強固なものになりましたよね。コンセプトが一貫していて、作品とリンクしているように感じてワクワクしました。

僕が子どもの頃って、CDのジャケットを見るだけでいろいろなことを想像できたんです。絵画を鑑賞しているように世界が広がっていく体験というか。音楽は目に見えないものですけど、もし、楽曲に顔があるとしたらどんなものだろうと思いながら、デザイナーさんと一緒につくっています。

あとは、音楽をずっとつくってきたので、極端なことを言えば小手先で楽曲をつくることもできるんです。でも、本当に自分が伝えたいことや、自分にしかつくれないものはなんだろうと考えるようになって、そこから楽曲だけでなく、アートワークにも強く考えを及ぼすようになったのかもしれないです。

――私はBAROQUEの『PLANETARY SECRET』『PUER ET PUELLA』『SIN DIVISION』『STAY』が大好きなので、そういう思いで発信された作品なのだと知ることができて、感動する思いでいます。

ありがとうございます。なんだろうな。それ以前のことを悪く言うわけではないんですけど、シングルやアルバムというのは必ずしも自分たちだけでつくれるわけではなくて、たくさんの人の意見を聞きながら一緒につくり上げていくものじゃないですか。

ある意味、周りのスタッフさんたちに納得してもらえるような楽曲をつくるみたいな部分があって。“つくりたい作品”なのか“望まれる作品”なのか、という葛藤がありました。誰しもが経験することだと思うんですけど。

なので、「自分が楽しいと思うこと、自分が幸せになれることをやろう」ってならないと、精神的に続かなかったと思うんです。それしか道がなかった、ということなのかな。今振り返ると。

ステージに立ち続ける理由

――そうだったんですね。ただ、今度はコロナ禍がバンド……というか、エンタメ業界全体を襲いました。2020年にはボーカルの怜さんの音楽活動からの引退と同時にBAROQUEの無期限活動休止が発表されます。それでも、[ kei ]さんが1人でステージに立ち続けようと思えたのは、どうしてなのでしょうか。

綺麗事じゃなく、何がつらいかって、自分のやってきたバンドって何度か活動休止や解散を経験しているので、ファンの人に申し訳ないなと思うのが一番で。やっぱり、悲しまれるじゃないですか。自分も音楽キッズだったから、わかるんですよ。がっかりさせてしまうのが、一番きつくて。

曲を出したり、ライブをするっていうのは、やっぱり、よろこんでもらいたくてやっているので。それが自分の生きがいでもあり。提示した活動の結果で傷つけたり、がっかりさせてしまうのが一番苦しいですから。

怜のことに関しては、20年以上一緒に活動してきて、バンドのメンバーである以前に友人です。本人の生き方を尊重したいと思っていたので、その決断も受け入れられました。

――打算的な考え方をすれば、メンバーが多いほうが人気の底上げをしやすいと思うのですが、新たにバンドを組むのではなくて、どうしてソロアーティストとしての活動を選んだのでしょうか。

バンドが続くって、奇跡的なことだと思うんです。他人ありきのことですから。あとは結局、新しくバンドを組んだとして、ファンの方に応援してもらっているのにも関わらず、また同じようなことが起きたりしたら……というのは、もう考えられなかったんです。

――絶対に止まらない車輪であるためには、ということだったんですね。でも、事務所からの独立はどうしてだったんでしょう。多くの人は安定した道を求めがちですから。あえて茨の道……いや、茨の道ではなかったということなんでしょうか。[ kei ]さんにとっては。

事務所には16歳の頃からお世話になって。本当、親代わりみたいな感じで。すごく良くしてもらっていたので、居心地も良かったです。

[ kei ]というソロ名義になったのが昨年の頭ですよね。もともと自分はギタリストで、いつでも武道館や東京ドームでライブができるような、めちゃくちゃ巨大なバンドだったわけでもないですし、それまで、ちゃんと歌ったこともない。なのに、こうして独立して1人で歌いながら食べていくって、相当大変だと思うんですよ。

ただ、自分は中学校を卒業する時に受験しないでバンドの世界に入っていくって覚悟を決めたじゃないですか。それに匹敵するくらいの勇気がないと、これからやっていけないだろうと思って。それで、思い切って事務所を出てみようと決めました。

だから、茨の道と捉えることもできます。でも、これまでよりも、もっと楽しいことが起きるかもしれない。もちろんリスクはあるんですけど、何かあった時にチャレンジする人でいたいと思っていて。そういう人でいたい、そういう人生でありたいと考えています。

――それで、事務所から独立したちょうど1年後に渋谷公会堂でワンマンライブを開くのだから、すごいですよね。

1年後に自分が考えられる最高地点を考えて、「これができたらすごいな」と思ったのが渋谷公会堂だったんです。大きい会場でやることが全てではないですけど、パッと渋公が思いついたんです。バロックも、さすがに活動開始から1年後では渋公ってできませんでしたし。

そこで、ライブ制作の人に言ったんです。そうしたら、ライブの申し込みがエントリー制だと。僕の誕生日である8月12日は、世間的にはお盆休みなので、他のアーティストも狙ってくる時期だと思うんですけど、なんと当たっちゃったんですよね。

――おお〜〜!

当選したからには、やるしかないと。これは違う媒体でもお話ししていますけど、その時点では、少し甘い考えがあって。僕のキャリアにはいくつかのバンドがあったので、元メンバーにゲスト出演してもらって、自分のアーカイブ的なライブをしようと思っていたんです。でも、元メンバーに断られてしまって。

その時には、「たぶん、できないな」と思いました。興行的に。それで、スタッフに「無理かもしれない」と言ったんです。そうしたら、もともと巨大なバンドだったわけでもない今年40歳になるソロアーティストに、なかなか渋公でライブをするチャンスは巡ってこないですよ、と言われて。やらないと後悔すると説得されたこともあって、気持ちを切り替えました。

――周りのスタッフの方が[ kei ]さんの音楽を信じていないと、出てこない言葉ですね。自分のアーティスト人生において、どのような位置付けのライブになりそうですか?

いい意味で、通過点としての1本かもしれませんね。僕はバンドを始めたのが16歳くらいで、メジャーデビューしたのが18歳くらいじゃないですか。あの頃、「あんなガキに何ができるの」と、すごく言われていました。「ガキバンドで実力が伴っていない」と叩かれもして、それがコンプレックスで悔しい思いもしました。

でも、よく考えると、今も同じなんですよ。「渋公なんて無謀なことできるの」って。うん、いつもこうだったなって。振り返ると。だから、自分のメモリアル的なライブにしようとしていた自分がいたって話をしましたけど、それは違うなって思いましたし、元メンバーも断ってくれて良かったと思います。

今は、その日を選んで、その場所を選んで良かったと思えるライブをしたいと思っています。

アーティストとして生き続ける覚悟

――[ kei ]さんがソロアーティストになってから、kannivalism時代のソロ名義である「圭」の楽曲も演奏されていますよね。20代の頃につくった楽曲を歌うのは、どういう感覚ですか?

まず、「圭」としてソロ活動を始めたきっかけについてお話ししたほうがいいですよね。

――読者の方のためにもお願いします!

自分はもともと、バンドの上手ギタリストになりたいっていうところからスタートしてバンドを始めて。だから、前々からソロ活動しようとか独り立ちしようとは思っていなかったんです。あの頃は怜が病気で活動を休止していた時期で、活動再開の目処もつかなかったので、当時所属していたレコード会社の方が、「うちからCDを出すから、何もやらないよりかは、この時期に好きなことやってみたら」とリリースさせてもらったんです。

当時は歌うことにコンプレックスがあったので、抵抗がなかったと言えば嘘になります。でも、挑戦することに価値があると思ったので、自分なりに一生懸命つくったのを覚えています。それで、BAROQUE休止後のある時、今いてくれるファンの方にライブでどの曲を演奏しようかとなった時に、昔の曲を聴いてみたいという人がたくさんいて。

自分がフロントマンになって歌うライブって、インストアイベント以外でちゃんとやったことがなかったんですけど、求めてくれる人がいるなら勇気を出してやってみよう、となって現在に至ります。なので、昔の曲たちが、ソロアーティストとして歌うきっかけをくれたんだなと。目の前に置かれた状況に対して、過去の曲があったから、もう一度ステージに立つことができました。ファンの方と過去の楽曲が、今の自分がいる場所に連れてきてくれた、という感覚です。

――ステージに立ち続けてくださって、楽曲を生み出し続けてくださって、本当にありがとうございますと伝えたいです。

普通に生きていけないんですよ、僕。ダメ人間的な側面もありますし、学校もまともに通えませんでしたし。普通に働くこともできないので。あとは、10代からプロとしてやらせていただいて、ファンの人たち、関係者の人たちがあって、今があるので。活動してきた時間、出会ってきた人々の全てが、現在の自分を形成してくれたわけじゃないですか。

だから、ずっとアーティストとして生きていく覚悟を、どこかのタイミングでしているんですよね。生きている限りはやるのかなと思います。

自分が変われば世界も変わる

――7月1日からは、自身初のポップアップストアが東急プラザ渋谷の4Fで開催されますね。この記事が出る頃は既に開催中だと思いますが、毎日、無料トーク&ミニライブを行うんですよね。すごい!

めずらしいですよね。アーティストでポップアップストアって、あまり聞いたことがないんですけど、スタッフの方が提案してくれて。

店内には等身大パネルがあります。あとは、3Dアクリルスタンドというアイテムがあるんですけど、スマホをアクスタにかざすと、ギターを弾いている僕が3Dのように飛び出てくるっていう。あとは、連続リリースでカセットテープをリリースしてきたのですが、そのセカンドプレス版も販売予定です。

――渋公のライブもそうですが、ポップアップストアにもぜひ足を運んでもらいたいですね。最後に、[ kei ]さんにとって、自身の理想像がどのようなものかを教えてください。

自分の心のなかで想像した演出やライブの構想が頭のなかにあるのに、それを表現しないまま死ぬのは、応援してくれるファンの方や支えてくれるスタッフの方たちに不誠実だと思っていて。だから、それができるアーティストになりたいのが一つです。大きなところでライブをしたいとか、たくさんの人に聴いてもらいたいっていうのは、そのための手段ですよね。

あとは、音楽で人の何かを変えたり、人の力になれることができると僕は信じているんですけど、ないものを芽生えさせるというよりは、その人のなかにあるトリガーを引くとか、もともとあるものを輝かせる類のものだと思っていて。そのことによって、僕の音楽を聴いてくれた人が自分を理解することにつながり、その人の幸福につながるのなら、それが一番うれしいです。

――自分を理解、ですか。

僕の場合、比較対象を他人に置いていないんですよ。かっこいい言い方をすると、自分がライバル、みたいな。そうじゃないと、人って落ち込むと思うんですよね。自分の価値を人と比べてしか見出せなくなると病んじゃいますよ。

それに、自分を認めることができないとか、気に入ることができないって、すごく苦しいことだと思っていて。いつだって、今が一番。今が最高だと思える人生を送りたいです。それができていない時には、自分が変わるタイミングなんだと思います。自分が変われば、世界も変わりますし。

あとは、知らないことにチャレンジできるって、ありがたいことですよね。歌うようになったのもそうですけど。年を取るとあっという間に時間が過ぎると言いますけど、はっきり言って、全然そんな風に感じなくて(笑)。

毎日、新しいこと、やったことのないことをやるしかない毎日だから。同じことだけやっていていいなら、そうしたいですけど、そういうわけにはいかないことがいろいろと起きるので。でも、こうして新しいことに挑戦させ続けてもらえて、ラッキーだと思います。




<7/1〜7/7開催のポップアップストアの詳細は下記リンクから>
https://kei-official.bitfan.id/schedules/45778

<8/12開催のLINE CUBE SHIBUYA公演の詳細は下記リンクから>
https://kei-official.bitfan.id/contents/170698


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