写真=池田宏
取材・文=石川裕二
株式会社アイスの代表・高木さんは、編集者ではなく、広告制作などを行うデジタルプロダクトのプロデューサーだ。高木さんは、僕がvivace(第5回インタビュー)からタウン通信(第3回インタビュー)に転職する際の転職活動中に出会い、当時は、高木さんが勤めていた会社の面接官と採用志望者という関係性だった。結局、僕はその会社には採用に至らなかったものの、高木さんがアイスを立ち上げてからは、なぜか、1年に1回は仕事をくださるという、不思議なご縁でつながっている。今回、「編集者をむしばむ無力感について」という企画でありながらも、高木さんに取材を打診したのは、僕にないものを全て持っている人で、そこに何かヒントがあるかもしれないと思ったからだ。
<プロフィール>
高木裕吉(たかぎ・ゆうきち)
1972年生まれ、東京都出身。株式会社アイスの代表取締役。外資系製薬企業やデザイン会社、アニメーション制作会社などを経て、株式会社アイスを設立。同社では、キットカットのブランドサイトやSONYの映像制作、東京国際映画祭のサイト運営やジャガー・ランドローバーのブランドサイトなど、ナショナルクライアントのデジタル広告の数々を手掛ける。
パソコンとの出会いがデジタルの道へとつながった
――高木さんは職種でいうと、ディレクターになるのでしょうか。プロデューサーですか?
プロデューサーですね。アイスでの2つの職種の違いを簡単に説明します。まず、僕らの仕事って、コンペで決まることがほとんどなので、そのコンペの時に提案をするのがプロデューサー。で、仕事を取れましたとなって、石川さんのようなライターさんたちの協力を仰いで制作の舵取りをする、つまりはデジタルプロダクトとしての形にしていくのがディレクターです。
――ご説明、ありがとうございます。高木さんが広告業界を目指したきっかけって、なんだったんでしょうか。
取材のお話をいただいて、その質問事項を見た時にすごく難しいなと思ったのね。まあ、順を追って説明していくと、僕がまだ小学生の頃に遡ります。近所に池田くんという友だちがいて、まだ小学1年生の頃かな。ファミコンが出ていないくらいの頃のお話です。
当時、ファミコンはまだなかったけれど、ゲームセンターはありました。『スペースインベーダー』より、ちょっと後くらいかな。そんな時に、池田くんのお家にはパソコンがありました。
――おお。
今でも覚えている。イケダくんは、PC-8801 mkⅡ SRっていうパソコンを持っていた。僕は彼と集団登校が一緒だったので、池田くんがそのパソコンの話をしてくれるのね。
駄菓子屋さんに『パックマン』とかが置いてある時代かな。その時代に、池田くんは「パソコンでゲームをつくったから、それを一緒に遊ぼうよ」と。すごいことじゃないですか。当時の僕には、ちょっと意味がわからない規模感のお話だったんだけど、池田くんの家に行って実物を見てみると、パソコンがあって、キーボードがあって。どでかい本体が、まず、すごく、かっこよく見えたんですね。
それで、池田くんが「じゃあ、やろうよ」と言って、カセットテープを持ってくるんですよ。カセットテープを入れる場所がパソコン本体にあって。ラジカセみたいなものをイメージしてくれればいいかな。そこにカセットを入れて再生ボタンを押すと、30分くらい掛けてゲームが起動する。
……ちょっと話が長くなりそうだな。話をまとめると、ハードウェアのかっこよさ、アナログからデジタルに変換される仕組みのおもしろさみたいなところに惹かれて、デジタルの仕事をやりたいな、となんとなく思うようになりました。
就職して初めてした仕事もデータセンターのサーバーをつくる仕事で。それから何度か転職したけれど、どれもデジタルにまつわる仕事で、デジタルを仕事にしたいという気持ちが常にありました。
――じゃあ、広告をつくりたかったわけではなくて、デジタルを仕事にしたいと思っていた、ということなんですね。
その通りです。
――アイスを立ち上げるまでには、どのような仕事をされてきたのでしょうか。
一番、最初にやったのが、さっき話したデータセンターでサーバーをつくる仕事。当時なら、たとえば、テレビ会議。今はzoomだったり、Google Meetでやっていますけど、当時はそんなことができなかったので、日本とアメリカの本社でテレビ会議をしようとなると、結構な大仕事だったわけです。
当時、日本とアメリカでテレビ会議をするには、ダークファイバーと言って、光ファイバーの逆の言葉なんだけど。テレビ会議をする期間中に太平洋に沈んでいるダークファイバーをレンタルして国内で会議用サーバを用意するという、原始的で大掛かりなネットワークの仕事をしていました。
いわゆる広告業に近しい仕事をするようになったのは、その後の会社で。インターネットを使ってキャンペーンサイトをつくるとか、外資の会社だったので、ウェブサイトを日本語にローカライズしましょうとか。
それ以降は、ずっと、企業の活動とか、企業がつくっている商品の説明とかを、どうやってデジタルのなかで表現すればいいのかっていうことをやり続けています。
――ああ、それはアイスになってからも変わらずですね。高木さんの経歴を振り返って、発信すべき広告であったり、情報などを伝えてこられたと実感する出来事ってありますか?
編集にたとえると難しいかもしれないんですけど、僕が車雑誌をつくっているとするじゃないですか。新しい車が日本でローンチしますよという記者発表会があったとして、そこに僕がモータージャーナリストとして参加した時に、競合する車種のスペックの話とかをもちろん勉強しますよね。あとは、その時々のトレンドとかかな。そういうものを勉強しないと、モータージャーナリストとして記事を書くことはできないですよね。
それと同じように、やっぱり、企業のホームページをつくってください、という仕事があるとすると、その企業のことを知らないといけないし、その企業の独自の文化や歴史を勉強します。で、僕は、その勉強をするのがすごく好きなんです。
つまりは、日々勉強をしていて、企業にご提案をした時に「そう、そういうことなんだよ!」と言われたら、やっぱり、うれしい。ああ、お客さまがやりたかったことを提案できたぞ、と。
そのよろこびの次には、キャンペーンサイトなら、売り上げを上げるというミッションがありますよね。いくら制作物をよろこんでもらえても、売り上げが上がらなかったら、僕としては、全く意味がない。じゃあ、どうすれば売り上げが上がるのかっていうのを考えるのが僕の仕事でもあるし、これは難しいけれど、おもしろくもある。そういう風に思っています。
あれ、質問の答えになってる?
――少し道が逸れている感じもするのですが、今、高木さんがお話しされたところが聞きたかった部分でもあって。そのミッションを果たせている、という実感を感じることってございますか。
あります。
――それは、どういう時でしょうか。
それぞれの案件にもよりますけど、たとえば、2023年の12月までに、売り上げをいくらまでにしないといけない、という仕事があるとしますよね。その数字は、四半期ごとに何パーセントまでいきました、というグラフでも可視化できる。ただ、ミッションを達成できる場合もあれば、達成できないこともありますよ。
でも、達成できなかったからダメなのかと言われれば、そうではなくって。もちろん、良くはないことなんだけれども、達成できなかったから100パーセント良くない仕事だったのかと言われれば、それは違う。
課題をより深く、お客さまと共有できて、じゃあ、次の年はこうしよう、という話ができるじゃないですか。そういう積み重ねをしていけば、ちゃんと、目標は達成できるものだと、経験則から思います。
みんなで走り続けて、ちゃんとゴールに到達できた瞬間が、一番うれしいよね。
――じゃあ、目標を達成できなかったとしても、それは一時的な話であって、決して、クヨクヨはしないと。
クヨクヨは全然しないですね。
――そこが、僕との違いですね。
クヨクヨしちゃうの?
――クヨクヨしちゃいますよ。だから、こんな情けない企画を……。
いやいや。
――40パーセントと20パーセントくらいの広告が出来上がってしまったとして、その広告に存在意義を感じますか? そんなものはいらない、なのか、次につながるから必要なのか。
20パーセントしか達成しない広告っていうのは、圧倒的に意味がない。意味がないし、事前にシミュレーションできるものだから、それって。
多分、世のなかに、20パーセントで着地してしまうような広告っていうのは、そもそもありえないと思う。それを押し切ってしまう人は、ちょっと主観が入り過ぎっていうか。「絶対にこの広告でいくんだ」って、データなしに主観だけで押し切ってしまうのかな。それは意味がないかな。
広告は、情報を人に伝えるもの
――なんというか、こう、そもそも論になってしまうんですが、広告の存在意義って、どういうところだと思いますか。
それも難しい質問だなと思ったんですけど、一つの考え方としては、誰かがいいな、と思ったものを人に伝える手段だと思うんですよね。広告って、押し売りに感じられてしまうこともあるかもしれないですけど、たとえば、新聞折り込みの広告、チラシですよね。それをつくるとして、そこにはたくさんの人のいろいろな気持ちが詰まっているわけですよ。
80パーセントオフですって書いてあるだけの広告なんだけど、この商品をそれだけ、とにかく知ってほしい、みたいなさ。この商品を本当に世のなかの人に使ってほしい、けど認知度がないから、値段で勝負するしかない、っていう大博打かもしれない。
それは商品だけではなくて、企業のことだったり、イベントだったり。音楽だって、チケットぴあに広告を載せたら、新しいお客さんと出会えるかもしれない、みたいな。広告も情報を人に伝える手段のひとつだと思う。
――ああ、確かに。そうですよね。……アイスさんでは、そういう広告などをつくるにあたって、制作方針というものはありますか?
基本的には、お客さまが「赤」って言ったら、赤ですよ。どんなに黒のいい絵ができたとしても。僕らは、別に芸術家でもなんでもないので。ただ、制作方針というほどのものではないかもしれないけど、プロとして、デジタルのことを知っていないといけないし、さっきも言ったように、お客さまのことを知っていないといけない、というのはあります。
お客さまが「こういうものをつくりたい」と言った時、その商品のターゲットが一番接触するデジタルメディアってなんだろうっていうのを知っていないといけません。表現方法も変わってくるわけだし。
要は、仕事を受ける時にこうあるべき、という姿勢のようなものだよね。トレンドとかを常に知っておくっていうのが、一番やらなくてはいけないことだなと思います。
――高木さんが日頃、生活をしていて、「この広告に何の意味があるの?」みたいに思うことって、あったりしますか?
いや、もう、全部。全てにおいて、僕、思いますよ。
――思いますか。
子どもの頃からそうですよ。電車に乗っている時に、どうしてこんなに遠くの駅のマンションの広告が載っているんだろうとか。それって、結局は自分の半径数十メートルのことしか考えられていなかったっていうだけで、その電車には終電のほうまで乗っている乗車客もいる。そういう人に向けた広告でさ。でも、当時は、そんなことに気がつかなかった。
最近、一番、なんでだろうと思ったのは、早朝に時代劇が放送されていたんですよ。で、CMがなぜかスーパー戦隊とかプリキュアなんですね。「東京ドームシティで僕と会おう」みたいなさ。
でも、少し考えれば当たり前のことで、早起きしているご高齢の方が楽しみにしている時代劇を見ている時に、お孫さんに向けてこういうものがありますよ、と伝えているわけでさ。
――ああ。
そういう、「なんで?」っていう気持ちは、広告マンなら常に持っているべきだと思います。
デジタルは「飽きない」のが魅力
――昨日、ウェブマガジンの「cakes」が閉鎖すると発表があったじゃないですか。そんな時に、僕みたいな名もなき編集者が改めてサイトをリニューアルするって、どう思いますか?
なんかね、どう思うかっていうところに関して言えば、良い・悪いとかじゃなくて……そうだな。また話が遠回りになっちゃうけど、僕、最近、リュウジくんっていう料理系のYouTuberが好きで。
――ああ、はい。
料理系のチャンネルなんだけど、あそこまでメジャーになると、YouTubeを見るっていうより、リュウジくんを見にいっている感覚なんだよね。それって、たぶん、子どもにとってのHIKAKINさんとかだと思うんですけど、メディアを飛び越した存在になっていて。
つまりは、YouTubeの動画をつくることと、そのなかで活躍するリュウジくんになるのかっていうのは、全然別の話じゃないですか。石川さんの場合、メディアをつくる。自分の城をつくるってことだよね。自分の懐を割いてつくるわけでしょ、時間とお金を。
じゃあ、そこに並んでいる商品ってなんでしょうと考えた時に、石川さんをイメージした商品が並んでいるべきだと、僕は思う。石川さんっていうタレントに会いたいし、石川さんが用意する記事も好きです、っていう人が見にくるわけじゃないですか。
だから、リニューアルすること自体をどう思うかっていうよりも、もう、そこは石川さんの城なんだからさ……。もしね、僕がバーを始めるってなった時に、みんなに、どう思うかって聞いたら、「高木さんがやるなら、いいんじゃないですか」って、周りの人なら言ってくれると思う。
でも、5年間だけやろうと思うんだよね、って話をしたら、僕のことを好きでいてくれる人は「いや、もっとやってよ」って思うじゃん。もっと根性入れて、死ぬまでやってくれよ、みたいな。だから、そんな感じでいいんじゃない? 石川さんのサイトには石川さんが書いた記事があって共通点があるコンテンツもあって、好きな人だけがきてくれる。ライフワークとしてやっていきますっていう気持ちでやってほしいな、と思う。
――ありがとうございます。憑物がすっと落ちたような気持ちになりました。今、ライフワークという単語が出ましたが、高木さんがデジタルにずっと関わっている、続けていられるのって、やっぱり、どこかに魅力を感じているからだと思うのですが、それって、どういうところでしょうか。
やっぱり、飽きないことですね。
――飽きないですか。
全く飽きないですね。
――どうして飽きないんでしょうか。
デジタルっていう媒体は、神保町の商店街のサイトでも世界中で流通している有名な車でも、なんでもできるじゃないですか。その時に、さっきも話したように、勉強しないといけない。企業の歴史も、業種のライバルも、デジタルのトレンドも。アイスのお客さまは、業種がバラバラだし、規模もバラバラ。海外の方と触れ合う機会もあるので。
そう考えると、全く飽きさせない、いい仕事だと思います。これがね、僕はゲームが好きですが、もしゲームメーカーに就職して、ゲームしかつくれないってなったら、僕、飽き性だから続かないと思うんですよ。それがない。
――アイスさんでは、ナショナルクライアントの仕事も多いですよね。自分のつくった広告物を街中で見掛けてうれしい、みたいな気持ちもありますか?
それね、実はあんまりないんです。
――ないんですね。
それよりも、自分たちのつくった広告物の成果で「売り上げが上がりました」って言われるほうがいい。街中で見掛けたり、知り合いから「見たよ」って言われることもあるけど、それって、あんまり心が動かなくて。もう、0か100かくらいの勢いの違いですよ。だから、広告のアワードとかも興味なくて。
――えっ。でも、高木さん、僕が『タウン通信』に勤めている時に「飲もうよ」って餃子店に誘ってくださって、そこで、「30歳になるまでに賞の一つくらい獲っておかないと」って言われたのが、結構、グサっときたというか、心に残っているんですが……。
そうだっけ(笑)。いや、世のなかの仕事を大きく2つに分けるとさ、職人系と営業系に分かれるじゃない。そしたら、僕、完全に営業系の人じゃん。石川さんは、僕からすれば、どう見ても職人系の人なんですよ。職人系の人が売れていくためには、やっぱり、賞を獲るしかない。営業系の人は、賞がなくても営業すればいいからさ。今からでも、全然いいんじゃない?
――そうですか? 何かできるかなあ。
絶対、できる。
――ありがとうございます。最後に、お話を少し戻して、売り上げを達成できたほうが100うれしいっていうお話だったじゃないですか。それって、多くの人に届いた実感、ということなんでしょうか。それとも、売り上げが上がったことのよろこびなんでしょうか。
後者ですね。人に届いた、とかあまり考えていなくて。もし、自分の会社で何か自社製品をつくっていて、つまりは作り手だったら、多くの人に届いたというよろこびを感じるかもしれない。売り上げが上がったという、2つの軸のよろこびがあるはず。
でも、僕がやっているのは、誰かがつくった商品の売り上げを100から1000にすることだから。商品に対して愛はあるけれども、人に届いたということよりも、ミッションを達成できたという達成感のほうが大きいかな。
――根っからの営業マンなんですね。じゃあ、数字が達成した時は、営業冥利に尽きるというか。
そうですね。
――わかりました、ありがとうございます。僕とは全然違う思考の持ち主で、お答え全てがおもしろいというか、新鮮でした。
良かった。
――僕にない部分を全部持ってらっしゃる方なので、本当に。ありがとうございました。
いえいえ、とんでもない。
――これで取材は終了です。あとは、撮影に移らせてください。ありがとうございました。
はーい。
▲2022年5月31日撮影。アイスのオフィスがある神保町にて
■「編集者をむしばむ無力感について」のすべての記事を読む