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EDITOR'S-ROOM

ささやかでも

好きなミュージシャンの新曲が発売された。心地いい。眼をとじると、音楽以外の情報がシャットダウンされ、自分が曲のなかに溶けて一つになるような錯覚さえ覚える。日頃直面する、ささいだが気になる“ささくれ”のようなことも、この人のつくる楽曲群を聴いていると、ふと忘れられる。

このミュージシャンには、過去に取材させていただいたことがある。その後、ライブにも招待していただいた。学生時代からファンだった当時の自分からすれば、夢のような話だ。このように新曲が発売するとなれば、媒体を持つ身としては取材を申し込みたいところだが、いまいち気が進まない。

自分がこんなにも豊かな気持ちになれる作品が発売されたのだから、いろいろな人に知ってほしい。そして、同じような気持ちになってほしい。ひいては、ミュージシャンの活動の支えになればうれしい。そう思う一方で、ぴたっと足が止まるようになってしまった。

CD不況と叫ばれて久しいが、ここ数年はオリコンのランキングに載っているCDの週間売上枚数を見て、思わず「えっ」と声が出る。「自分のことをこんなにも支えてくれる作品が、これだけの人にしか届いていないのか?」と思うのだ。いわゆる“読まれている”複数の媒体がインタビュー記事を載せたところで、目を疑うような数字でしかない。もちろん、いまはダウンロード販売もあるし、動画サイトで見れば事足りるという人も少なくいだろう。とはいえ、CDだけの数字を見ると、暗澹たる思いを抱いてしまうのも事実だ。

自分が取材をしたいと思う基準は、その人を知ることで幸せになる人が増えることだ。すばらしい才能を持っている人、とも言い換えられる。しかし、その人の貴重な60分をもらってつくったインタビュー記事に、どれだけの価値があるのだろう。

記事のつくり手の力不足と言われればそれまでだが、単純にインタビュー記事が「音楽を聴く」という行為に結びつくとは、なかなか思えない。インタビューをする時間を、休息に充てていただいたほうがいいんじゃないか、とすら思う。ファンのためにというのなら、ミュージシャンのオフィシャルのものとして、インタビュー記事を一本つくればいいのではないか。

もちろん、人と対話することでのミュージシャン本人の気付きもあるだろう。限られた媒体しか目にしない一人ひとりの読者に、その情報を伝えるという意味では複数の媒体の取材を受ける意味もあるだろう。

かつての上司に、このことを相談すると「何人かと話していくなかで、自分の考えがより明確なものになっていく。自分は、その大きな流れのなかの一部分だと考えればいいのではないか」と、言っていた。

自分のやることに、意味を求めすぎているのかもしれない。血迷って、この悩みをいろいろなメディアの編集者に聞いて回る企画でも立ち上げようかとも思ったが、無意味だろう。『東京黎明ノート』を経済活動の場にも、遊び場にもできていない今の状況が原因なのは明白だからだ。

この文は自分の“恥”そのものでもあるが、編集者としての歩みでもある。そして、ささやかな希望の灯として残しておければと思う。

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