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FEATURE —特集—

40歳になる、わたしたちへ。 第5回/ふかわりょう「人生の節目は、誰もがはっきりしているわけではない」

7月から続いてきた企画「40歳になる、わたしたちへ。」は、今回で最終回。最後のインタビューをどなたにするかは散々悩んだが、結果、ふかわりょうさんにオファーを出させていただいた。

ふかわりょうさんは私が小学生の頃にデビューし、「小心者克服講座」で大ブレイクを果たした。子どもだった私はけらけらと笑いながら、ふかわさんのマネをしたものだ。その後も「内村プロデュース」に出演するふかわさんが好きで見ていたし、近年は『バラいろダンディ』『5時に夢中!』のMCとして躍動する様子や、エッセイストとしての才に憧れを抱いてもいた。

ただ、過去のインタビュー記事を拝見すると、一筋縄ではいかない取材になりそうだぞという思いもあり、ワクワクと不安が入り混じった気持ちで取材当日を迎えた。

<プロフィール>
ふかわりょう
1974年生まれ、神奈川県出身。大学在学中の1994年にデビュー。その後、「小心者克服講座」で大ブレイクする。お笑い芸人やMCとしての活動のほかにも、ROCKETMAN名義での音楽活動を行う。執筆活動では、独自の視点によるエッセイが注目を集めている。近著に『世の中と足並みがそろわない』『ひとりで生きると決めたんだ』『スマホを置いて旅したら』『いいひと、辞めました』などがある。

今見えるのは「キラキラした大海原」

――2012年(当時38歳)から『5時に夢中!』(TOKYO MX)のMCを務めるようになりました。新しい挑戦だったのではないかと思いますが、ふかわさんがオファーを受けた時の心境を教えてください。

その頃は“いじられキャラからの脱却”という葛藤のようなものがあった時期でした。一方で、出演番組においてはスタッフの方から「裏回し(※編注=メインMC以外の人が、番組の意図に沿う形で話を展開させていく役回り)をお願いします」というお話をいただくようになった時期でもあって。なので、20代とは違うことを求められた30代でした。帯番組のMCはどこかで意識していましたし、『5時に夢中!』は好きな番組だったので、すごくうれしかったです。

――芸人としてはもちろん、司会者、音楽活動、執筆と幅広い活動を見せた40代でした。ふかわさん自身は、40代を振り返って、どのような時間だったと感じますか?

そうですね、難しいな。でも、僕は30代中盤くらいから“50歳になった時に見える景色“が、自分の通信簿だなと思うようになったんです。あえて、景色と言いたくなってしまうんですけど。

――ふかわさんは、今、ちょうど50歳ですが、どのような景色が見えているのでしょうか。

まず、38歳で帯番組が始まって、12年半やらせていただいて、今年の秋に番組が終わることになりました。その時の心境は「あ、この港町を離れるタイミングが来たんだな」というものでした。自分でも意外だったのは、そこで気持ちが萎縮せずにワクワクしていたことです。これからどういう出会いがあるのだろうと。再び大海原と対面して、帆を掲げて出航しようという気持ちになれました。

――おぉ……!

番組が終わっちゃった、どうしようという人生もある一方で、僕の目の前にはキラキラした大海原が現れたんです。

――それは、どうしてなんでしょうか。

どうしてというか、そこにたどり着く人生を歩んできたということではないでしょうか。別に僕は、今見えている景色を意識して歩んできたわけではなくて。今年で芸能生活30年を迎えますけど、気持ちの波がすごくありました。そういう大きな波を超えて、目の前に現れたのがどんよりとした闇ではなくて、キラキラした大海原だっていうのには理由はないんです。ただ人生を歩んできた結果、たどり着いた景色としか言いようがないんですよ。何をしたから今があるとかじゃなくて、結果的にこうだった、というだけで。

スマホのなかにある悲しみ

――「自分も歳だな」と感じて、悲しくなることはありますか。

年齢の影響かはわかりませんけど、悲しくなることはあります。スマホのなかに、悲しくなるものがたくさんありますね。人をとがめたり、傷つけるような表現が横行しているじゃないですか。そういうものを目にすると悲しくはなります。

――それは年齢を重ねたからですか?

直接は関係ないと思います。それに、20代の時に同じものを見て今と同じような気分になるかどうかは立証できないので。ただ、小学生の頃、野良犬を蹴飛ばしたり、ホースで水をかけて笑って楽しんでいる生徒を見て、悲しい気持ちになっていたのに近いです。若かったとしても、同じ感覚を持っていたかもしれませんね。

――このサイトでも、日本の言論を取り巻く環境には潤いがないんじゃないかという企画をやったことがあります。

人格まで否定しますからね。自分と違う考えを排除するような不寛容な社会というのが、SNSにはあるんですよね。

――このように、ズバッと意見を言うのは怖くはありませんか?

そもそも、みんなにわかってもらいたいというのは自分のエゴだと思っています。自分の考えは、SNSに放流せず、書籍という形の受け皿を選ぶことが多いです。

自分の人生を受け止めることが大事

――先ほどの質問でも申し上げたように、司会者、音楽活動、執筆と幅広い活動を見せた40代でしたが、ふかわさんは創作する人間におけるピークはいつだと思いますか? 例えば、僕は雑誌の巻頭ページを任せてもらっていた20代後半から30代前半がピークだったのかな、と少しさびしくなる気持ちがあるんです。

僕がこの世界に入ることを決めたのは高校2年生の時だったんですけど、その理由の一つが、年を重ねれば重ねるほど、それがハンディキャップにならずに、むしろ味というのかな。味方してくれるっていうことで、この世界に飛び込んだんです。なので、ピークが過ぎたんじゃないかといった考え方は、僕は全然持っていないです。

――実は、この企画の前回に登場していただいた漫画家のいがらしみきおさんにもお聞きした質問だったのですが、ふかわさんのご回答で答え合わせができた気がします。ありがとうございます。

たとえば小説家の方が芥川賞を20代でいただいたとして、その後、その作品を超えるものがあるかみたいな尺度に、僕は振り回されないというか。表現することって、優劣じゃないと思うんですよね。

――それに関連して聞きたかったことがあって。ふかわさんが50歳の誕生日に、Xで「R-1グランプリ2025」に出場することを表明しましたが、ベテランになってから人に評価されるのって怖くないですか?

評価されると思っていないですね。自分の表現することが、どういう風に伝わるのかという、そういう意識でしかないです。ただ、日々の仕事でうまくいかなかったみたいなことがあったとして、それでも人生は続いていくわけです。経験が、どんどん積み重なって、それがまた60歳になって見える景色であったり、顔つき、価値観などにつながっていくと思っていて。

「成功した」「失敗した」みたいな、その瞬間的な尺度って、音楽で言うとマイナーコードとメジャーコードの違いぐらいなのかなと思います。曲調がちょっと違うだけというか。僕のブログは「life is music」というタイトルなんですけど、文字通り、人生は音楽であると常に思っています。石川さんは今度、40歳になるんですよね?

――そうです。

別に、キラキラした大海原が見えなくてもいいんですよ。ただ、どんな景色が見えたとしても、それを受け入れることが大事だと思います。

――自分なりに咀嚼して考えてみます。ありがとうございます。最後に、ふかわさんの理想の将来像がありましたら教えてください。

そこまで具体的に何っていうのはないかな。僕の場合はたまたま今、50歳がデビュー30年で、節目がわかりやすいんですけど、人生の節目って、誰もがはっきりしているわけではないじゃないですか。なので、先々のことは、今はあまり考えないですね。ただ、すごくよく笑うおじいさんになっていても、気難しい頑固ジジイになっていたとしても、自分の人生として受け止めたいなと。それくらいの感じですね。


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