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FEATURE —特集—

40歳になる、わたしたちへ。 第4回/いがらしみきお「なりたいものになれた。それが全てなんです」

『ぼのぼの』などで知られる漫画家のいがらしみきおさんは、私にとって神様のような存在だ。同作品の物語や台詞には何度もハッとさせられ、人生の金言にしてきた。特に、読者から寄せられた悩みの相談にぼのぼのたちが回答する『ぼのぼの人生相談「みんな同じなのでぃす」』のあとがきに、忘れられない文章がある。

「私は、人生は細部にしかないと思います。『おカネがなくて一家離散した人生』にではなくて、うまかったラーメンの中に。『家族を癌でなくしてしまった人生』にではなくて、同窓会に出てみたら楽しかったという細部にしか人生はない。(中略)人生相談だの生き方指南での自己啓発本なんか買ってもわかった気になるだけです。それで消える不安だったら、その程度の不安感は抱えたままの方が強くなれますよ。」(※『ぼのぼの人生相談「みんな同じなのでぃす」』のあとがきより引用)

ああ、なんて、すてきな考えの持ち主なのだろうと思った。この文章にハッとした人は、ぜひ『ぼのぼの人生相談』シリーズの3冊と、子どもたちからの質問に答える「webちくま」で連載されていた「問い詰められたおじさんの答え」を読んでみてほしい。

さて、そんなわけで、いがらしみきおさんへの個人的な人生相談を始めるとする。

<プロフィール>
いがらしみきお(いがらし・みきお)
1955年生まれ、宮城県出身。漫画家。24歳で漫画家デビューし、『ネ暗トピア』などで人気を博す。84年から2年間の休筆を経て、『ぼのぼの』の連載を開始し、講談社漫画賞を受賞した。同作は2024年時点で49巻まで発行される長寿作品となっているほかにも、フジテレビでテレビアニメが放送中。自身初となる少年向け漫画『忍ペンまん丸』では、小学館漫画賞を受賞した。日本漫画家協会優秀賞を受賞した『誰でもないところからの眺め』をはじめとする『Sink』『I』などの劇画作品や随筆への評価も高い。

どんな40代を過ごしましたか?

――いがらし先生が40代の頃はキャリアやプライベートにおいて、どのようなことを考えていましたか?

30代の頃に連載を始めた『ぼのぼの』がたまたまヒットして、36歳の頃には結婚して、子どもにも恵まれました。今住んでいる家も買って、何も不安がない状態でした。このまま生きていけばいいかな、と思っていました。

――おぉ、順風満帆ですね……! いがらし先生が40代だった頃の特筆すべき出来事と言えば、アニメ化された『忍ペンまん丸』や劇画作品の『Sink』の連載開始がありました。まん丸は、初めての少年漫画ですよね。どうして少年漫画を描こうと思ったのでしょうか。

それは子どもがいたからです。子どもが字を読めるようになって、漫画を読めるようになってきました。そこで当時のエニックス社から連載の話が来たので、自分の子どもに読ませるためのものをやろうかなというのが一番の動機でした。

『ぼのぼの』は、絵を見ていて楽しめる要素はあるかもしれないですが、子どもにはわからない話もありますから、読んでいる感じではないじゃないですか。それで、『忍ペンまん丸』を描きました。

――純粋かつ強い動機ですね。

その反動があって、『Sink』を描いた部分があるかもしれません。私は『ぼのぼの』の連載を始める前に2年間、休筆していたのですが、その間に実は『グール』というホラー作品を描いていました。しかし、途中で頓挫してしまったのです。それが頭に残っていました。当時の『ぼのぼの』の担当編集者もそれをわかっていたのだと思います。新しくウェブメディアをつくるのでネットで描き下ろしの作品を連載しないか、と話を持ち掛けてくれました。そこで、頓挫したホラー漫画をもう一回、描いてみたいとなったんです。

――それが『Sink』だったと。『ぼのぼの』しか知らない人には、同じ作者とは思えない作風のホラー漫画です。

それは、病気の影響もあったと思います。

――いがらし先生は40代の頃に脳梗塞と甲状腺がんをご経験なさっていますね。

脳梗塞を起こしたのは、42歳の時でした。朝起きて違和感を覚えたので嫁さんに「救急車を呼んで」と言おうとしたら、頭のなかでは言えているのに、声が出ないのです。これはおかしいぞということで、嫁さんが救急車を呼んでくれました。

手術こそしなかったものの、右手の麻痺と言葉の麻痺が出ていたので、10日ほど入院しました。退院後、経過観察のために通院を始め、脳梗塞の原因を調べようと超音波検査をしたところ、甲状腺に腫瘍があると。時代のせいか、「がんです」とは言いません。「(レントゲンに)影がある」「腫瘍がある」と。手術して、患部を摘出して、初めてそれががんだとわかる時代でした。

――連続で病気がわかり、どのようなお気持ちでしたか?

びっくりはしました。私はもう、1・2年くらいしか生きられないんじゃないかと思いました。来年あたり、心臓発作をやるかもしれない、とか。とは言え、うちの母親も甲状腺がんになった後に20年くらい生きましたから、そこまで切迫したものではないとも思っていました。

一方で「自分も死ぬんだな」という気持ちは、『Sink』に出たと思いますよ。自分のなかにある、モヤモヤした正体不明の暗いものというか。ただ、経験したことを作品に反映できるのは一番の醍醐味というか、力が入るところですから。そういう意味では楽しかったです。

――そう言えるのって、すごいことだと思います。私からしたら、できることなら病気にはかかりたくないです。

あはは。『Sink』の1話目か2話目を描こうかという時に脳梗塞を起こし、連載中にがんになったので、描いてはいけない漫画なんじゃないか、とさえ思ったこともありますけどね。そういう不吉な考えも、あるにはありました。

――でも、描くことはやめなかったんですよね。

はい、やめるということはありませんでした。もし心臓発作で来年死ぬとなった時に何を後悔するかと言ったら、『Sink』を描き切れなかったことを後悔すると思ったので。描き終えるか死ぬかのどちらかでした。自分に起きたことを作品に出していく。そんなにおもしろいことはなかったですから。

それに、自分の描いたもののなかで未完なのは『グール』だけなんですよ。もし、『Sink』まで未完になってしまったら、漫画家の風上にも置けないやつだと思いました(笑)。だから、描くという選択肢しかありませんでした。

『Sink』は、いわば『グール』のリメイクなんです。『グール』で考えていたエンディングとは違う終わり方になりましたが、バージョンアップされているという意味では、『グール』に対して決着をつけたような思いはあります。思い残すことはありません。

どうして、そんなにたくさん漫画を描けるのですか?

――いがらし先生は『ぼのぼの』のような長期連載作の一方で、新作もコンスタントに発表しています。創作意欲がすごいなと思っているのですが……!

30年、40年も漫画を描いていると、それが普通の状態になります。つまり、編集者から連載の話が来た時に、何か出てくるんです。そこに苦労するとか悩むといったことは、一切ありませんでした。それにね、漫画って描く前の構想段階が一番楽しいんですよ。あれもやろう、これもやろうと。

机の前や眠る時に、物語の最初からエンディングまでを考えて、一人興奮するんです。ほかの誰でもなく、自分の頭のなかだけにあるものです。漫画家の一番楽しいところって、そこじゃないでしょうか。描き始めると大変なことばかりなんで(笑)。

――連載は過酷だと、いろいろな漫画家さんのあとがきなどでよく目にします。

最近は絵を描くのが、とても大変になってきました。たとえば、今日出た『ぼのぼの』の単行本。これには1巻の時から、オマケでパラパラ漫画を載せているのですが、だんだん体力的にキツくなってきました。それをなんとかしなければいけない、とも思わないですけど。

「じゃあ、もう描かないんですか?」と言われると、わからないです。今、とある編集部から連載の依頼があって、「原作でもいいですか」と日和っています。自分が作画する労力が想像できるわけです。それを考えると、二の足を踏むようなところが出てきたというか、老いを感じるようになりました。

――老い、ですか。いがらしさんにとって、年を重ねるのは怖いことですか? それとも、楽しいことでしょうか。

年を重ねるというのは拒否できないものなので、当たり前のように受け止められるかどうかが、一つの分かれ道になるのではないでしょうか。私はそんなに拒否感もなく受け止めてきたかと言われれば、なかったですね。と言うのも若く見えるでしょ、私。30歳の頃なんて、「学生さん?」と言われたこともあります。老いていく自分に対して、普通の人ほど意識してはいなかったのだと思います。

ただ、先ほども申し上げたように、情けないところというか、最近は年を取ってきたと感じるようになりました。

――体力のお話をしていただきましたが、精神的な面ではいかがですか? たとえば、描きたいことがなくなる恐怖のようなものはありますか?

漫画家というのは、編集者が依頼をくれた段階で「さて、何を描こうか」と思うパターンの人が多いと思います。私も、どちらかというとそうです。「そのうち、これを描きたい」というはっきりした欲望ではないんですね。でも、「よく考えたら、前にああいう話を考えたな。これを描いてもいいですか?」というパターンがあります。『Sink』も似たようなものですよね。

私は5歳頃から漫画家になりたかったですけど、どういう漫画を描きたいというのは実はありませんでした。中学を卒業する頃から、本気で漫画家を目指すようになりましたが、その時点でも同じです。「漫画家になりたい」という思いが第一にあって、なってしまえば何か描けるはずだと思っていました(笑)。

――独特の作風をお持ちなので、それは意外です。

そうですか? 今でもね、「漫画家・いがらしみきおさん」と紹介されるとうれしいんですよ。それくらい、漫画家になりたかった。2年ほど前だったかな。地方で講演があって、会場に行ったら演台の横に「漫画家・いがらしみきお先生」という垂れ幕があって、すごくうれしかった。おれ、漫画家になりたかったんだなと改めて思いました。

いつだったか、中学生くらいの子に「漫画家になって、一番よかったことはなんですか?」と聞かれた時には「漫画家になったことです」と言いました。それくらい、漫画家という存在が燦然と輝いていたんですね。頭の上に、きらーんと。

自分が漫画家になれないのではないかと思ったこともありません。そういう人生を送ってきたので、40歳になった時も50歳になった時も不安はありませんでした。どれだけ漫画を描くのが苦しいことだとしても、自分は“本物”なので、他にやりたいことがないんです。「行きたいところはありませんか?」と聞かれても、どこにも行きません。毎日、6時間ほど漫画を描いています。土曜日と日曜日は休みにしているので、映画を観に行ったり、本屋に行ったりしますけど。結局、私にとっては、漫画家になれた。それが全てなんですよ。

創作のピークはいつですか?

――私は多くを求め過ぎていたのかもしれないな、と思いました。そうか。うん、ありがとうございます。最後に、創作のピークはいつだと思うかを教えてください。

先ほど、なかなか絵を描くのが大変だとは言いましたが、ピークがいつかと問われたら、今が最高というよりも一番いい状態です。最近はね、5時頃になると目が覚めているんです。朝っぱらから、ものすごく頭が回転しているんですね。自分を俯瞰して見てみると、今のいがらしみきおが、一番頭の回転がいい感じがします。ホラー作品を考えてくれと言われたら、すぐに出てきますよ。

――本当ですか!?

本当です。ええと、そうだな。お歳暮が届いて、発泡スチロール箱を開けたらタカアシガニが入っていました。冷蔵庫に入れようとしても入らないから、包丁で手足をバラそうとする。すると、なんとタカアシガニが生きていた。「怖いな〜〜」と思って蓋をしたら、なんと発泡スチロールからタカアシガニがいなくなっているじゃないですか。家のどこかにいる。寝ている時にカサカサ出てきたら恐ろしいぞ、と思うと夜も眠れない。

……という話を、どこかの編集者に話したことがあります。「本当にそれはホラーなんですか?」と言われました(笑)。

――シュールな恐ろしさが、いがらし先生のタッチで脳内変換できました(笑)。それにしても、今日はなんだか憑き物が落ちたかのようにスッキリしました。ありがとうございました。


▲ぼのぼのを描く、いがらし先生の手元。かっこいいなぁ〜〜。

■いがらしみきおさんの最新刊『ぼのぼの』49巻の情報は下記から
https://www.bonobono.jp

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