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FEATURE —特集—

40歳になる、わたしたちへ。 第3回/安藤裕子「自分を一番に愛でて、労り、褒めてあげて」

安藤裕子さんは、10年前に「30歳になる、わたしたちへ。」にもご登場いただいた。彼女には、その生き方に憧れる女性ファンが多く、女性代表として、40代という移ろいゆく肉体・精神について語っていただこうと出演をオファーした。他メディアでアルバム『Barometz』のインタビューをしたので、個人的には4年ぶりの再会だ。

今回の記事では、安藤さんのライブのMCのように、くだけた表現をそのまま文字に起こしている。ファンの方なら、ケタケタ笑いながら話す安藤さんの姿を脳内で再生できることだろう。約7000字という短くないインタビューだが、気負わずに読んでいただければ幸いだ。

<プロフィール>
安藤裕子(あんどう・ゆうこ)
1977年生まれ、神奈川県出身。シンガーソングライター。2003年にミニアルバム『サリー』でデビュー。05年、月桂冠のCMに起用された「のうぜんかつら」が話題となる。近年はアニメ『進撃の巨人』のエンディングテーマに起用された「衝撃」が国内外で反響を呼んだ。音楽活動のほかに役者としてもさまざまなドラマ・映画に出演しており、幅広い活躍を見せている。10月5日からツアー「アナタ色ノ街 vol.2」を開催する。

https://www.ando-yuko.com

肉体の在り方を今一度考えて

――「Tokyo Reimei Note」には10年ぶりのご出演です。安藤さんも30代から40代になりました。そして、去年から自主レーベルの「AND DO RECORD」を立ち上げていますが、いかがですか?

今、いろいろなことを自分でやっているので、慣れないことをする日々です。前はCDジャケットのデザインをするくらいだったけれど、校了までの管理やみなさんとのやり取りなど自分ですることも増えました。そうすると、今までやってなかった分、脳も溶けてくるし、寝る時間も減ってくるでしょう? へとへとです。40代になる女性に私が一つ言いたいのは、精神もへったくれもなくて、まず体だなっていうことですね。

――体が第一ですよね。

不調に関していうなら、私、20代頭ぐらいから不調と共に生きているんです。自律神経を乱したり、パニック症になったりとか。床に伏せていることが多かったです。でも、それとは違う衰えのようなものを大人になって感じるようになってきています。ここから不調が増えていくのだと思うと落ち込みますよね。

寝不足とかもね、如実に次の日の体調に表れます。ツアーが始まるので、そんなこと言っていられないんですけど。歌録りだって、夜まで歌い切ったら、帰る頃にはおばあさんになっていますよ。ヒーって。でもね、歌が続くとインナーマッスルを使うので、逆に体力は戻るんです。バランスが大事なんだろうな。

――おばあさん状態の安藤さんを見てみたいですけどね。精神的な面の変化はどうですか?

人によると思いますけど、センチメンタルな部分はどんどん削げていきますね。あとは、うーん。私みたいな、ほぼ社会に属していないような形で大人になっている人間っていうのは読者のみなさんとちょっと境遇は違うと思うんですけど、一般的に言えば、40代と言ったらこの国を支柱となって支えなければいけない世代じゃないですか。

――そうですね。

そうなると、目を向けないといけないことが多くなってきますよね。たとえば、自分のことよりも子どものことってなるでしょうし。もっと大きな視点で見ると、時代はすごい変換点を迎えましたよね。そこに目を向けないといけないと思っています。

――政治のことや国際問題を自分のことと思えずに、傍観している人は多いと思います。僕もできているかどうか。

自分もできていないですからね。だからこその焦燥感もあって、見て見ないふりをしているのなら、それは過ちかなと思います。一方で、強制することでもなければ意見をすることでもないという思いもあって。「知識がない奴が語るな!」という風潮に萎縮してしまう自分もいるし。

今、境目にあると思うんですよね。そういう部分にもう少し意識を持つべきなのか、持たないまま自分の日常に溺れていくのかっていう。私は今、自分にできることを頑張ろうと思ってやっているけれども、それ以上に夢想家でもあり。世の中を眺めて、語り部である仕事をしているから、そういう目線で見ると、「ええじゃないか、ええじゃないか」でこの世の中の動きを見て見ぬふりをしてやり過ごしてしまって、本当にいいのかなと思うんです。

たとえば毎月、「自分のお給料から引かれている税金は何に使われているんだろう?」と思うのがスタートでもいいと思うし、ただ眺めるだけで終えてはいけないことがたくさん、たくさんあって。それはもう、視点の在り方だと思うんですけど。

――安藤さんは、昔からそういう視点を持っていたのでしょうか。

全然ですよ。娘が生まれてからじゃないですか。私、若い頃は毎日泣いていましたから。何かが悲しくて。そういう生き物だったし、そこまで全体のことを見るだなんて考えてもいませんでした。でも、この大人が無責任な状態にあるというのをどうにかしないと、若い人たちがかわいそうだなと思っていて。彼らは我々先輩が見て見ぬふりをしてきた事柄の被害者ですよね。

あと何年、動く体でいられるのかな

――安藤さんには「30歳になる、わたしたちへ。」に出ていただいたじゃないですか。

30歳にもなろう男がグダグダと、って叱ったやつね。

――そうです(笑)。前回出ていただいたので、今回は安藤さんにはお声がけしないようにしよう、と思っていたんです。僕が会いたい人に会うだけの企画になってしまうので。でもですよ、7/21に開かれた能楽堂のライブのMCで、安藤さんが「まだ人生やり残していることはないか」みたいなことを言っていて。おっ、と思ったんです。

それは、どうしてセンチメンタルに溺れていられなくなったかという話にもつながるんですけど、体の不調が増えることで「あと何年、動く体でいられるのかな」と考えるようになったからです。

仮に寿命が80歳だとしたら、その年ギリギリまで体が動くわけじゃないじゃないですか。40半ばでこんなにも毎日つらい、つらいと言っているんだから。この肉体がいつまで持つんだろうと考えた時に、「あれ、私、死ぬまでにやりたかったことが結構あった気がする」と思ったわけですよ。

たとえば、私はもともと映画が好きでお話を書いていたんです。今、ホリプロさんにいて、役者さんのお仕事を少しずつ入れてもらったりしていますけど、そこで吸収したものを糧に自分の映像作品をつくりたいと考えていたり。

――おぉ〜〜。

お話を書くのも長らくほったらかしにしていましたけど、最近、また再開して。それは自分の寿命もそうだし、時代がいつまで平和でいられるかっていうのも含めて、時間がないと思うから、あんまりウダウダ言ってられないなーっていう気持ちもあって。以前のように悲しみのネタを探すような暮らしとは変わったんじゃないかなと思います。

ささやかではありますけど、今年は役者さんもちょこちょこやらせていただいていて。そういう意味では、自分がやりたかったものに近づけるタイミングなのかもしれませんね、40代って。まだ体が動く年齢なので。

だから、やってみたかったことがあって、なんとなく諦めている人がいるのであれば、チャレンジできる最後の世代なんじゃないかなと思います。やったらいいんじゃないかな。

――ご存じのファンも多いと思いますが、安藤さんは歌手デビューの前に『池袋ウエストゲートパーク』などに出演していましたもんね。映像作品をつくるのに興味を持ち始めたのは、いつ頃からなんですか?

オリジナルのお話を書き始めたのは高校生の頃です。それで映像にも興味が湧いて、人のシナリオなんですけど、みんなで夏休みに映画を撮ったんです。それが爆発的に楽しくって。あの高揚感をもう一度、と思ってずっと生きてきたところはあります。

――それを、自分の体の限界なのが見えてきたぞっていう時に、「こういうことをやりたかったはずだよね」と思い出したというか。

そうそう。このまま死んでいいのかなーって。「あれ、やりたかったな」と思って最期を迎えるよりは、チャレンジして、足を突っ込んだ上で諦めるほうがいいじゃないですか。

私ね、20代で体を壊した時に「頭打ちだな」って言葉を自分で唱えていたんですよ。若いから、なんでもできると思っていたのに体が動かなくなるっていう状況がすごく怖くて、悲しくて、それこそよく泣いていたんですけど。

でも、その時の頭打ちと今の頭打ちって、ちょっとリアリティが違うというか。20代の頃のは突発的に、驚きにも似た恐怖に呑まれる感じで。今の体が痛いっていうのは、現実としてじわじわ降りかかってくる感じなんですよ。だから、そろそろ、やることはやっておかないとって。

――この記事を読んだファンの方は、僕を含めてみんな楽しみにしていると思いますよ。

つくったモノを誰かが「好きだ」って言ってくれることで、初めて作品って完成されるんです。私はモノをつくる人間だから、つくったものがずっと独りよがりだったら、それは悲しいですもの。誰かひとりにでも愛でてもらえるのなら、それが一番うれしいです。共演者やスタッフのような身近な人間から、その輪が膨らんでいくことが喜びで活動しているので。

ファンの方がリアリティをくれる

――他メディアの20周年記念ライブのレポートを見ると、「自分が納得する何かを探す旅をしていて、まだその途中にいる」という発言があったのですが、それって、今お話しいただいたことが答えですよね?

そうですね、死ぬまでの手応えを探しているというか。納得ができないんです。「これでよかった」と思ったら、それはもう今際の際というか。手応えがあって完成してしまったら、この先の人生、何をしていけばいいのかわかんなくなっちゃいますよ。そういう意味では、納得できていないというのが、日々、生きている証拠でもあるのかなって。

ただ、さっき言ったみたいに、時代の変化や平常の暮らしを奪われた時にそれができなくなってしまって、「無念である」とはしたくなくて。だから、常に何かにトライしている最中でありたいと思います。

――安藤さんって、アクティブですよね。いろいろなことを理由にして、やらない人のほうが多いと思うので。

大体、具合が悪くて床に伏せていますけどね(笑)。気持ちは前向きで。でも、人が思うよりは、やんちゃですよ。何かしら足を突っ込んじゃう。

――あとは「アナタ色ノ街 vol.2」について、お聞きできればと。僕、沖縄2days行きたいんですよ。沖縄で安藤裕子さんの楽曲を聴けたら最高だな、と思っているファンは多いんじゃないですか。なんとなく沖縄とリンクするイメージがありますもん。

私の意識が沖縄にあるからじゃないですか。母が沖縄の男性とご縁があったので学生時代は沖縄料理がよく食卓に出てきました。昔連れて行ってもらった沖縄って、今の沖縄とどこか風景が違くて、鮮烈に焼き付くようなものがあったのを覚えています。あとは、お姉ちゃんが沖縄民謡を歌っていたり。そんなわけで、暮らしの周りに沖縄の要素が多かったです。だから、曲のフレーズに民謡っぽい音階を使ったりもします。

――おぉ、合点がいきました! vol.2をやるということは、初回の手応えを感じているからでしょうか。

私のような楽器を弾けないシンガーソングライターは、何人ものミュージシャンにライブにご出演をお願いしないといけないので、東京と大阪でしか大きな自主公演ができないんですよ。そうすると、地方に住んでいる方に会いにいけなくて。以前は、それをアコースティックツアーという形で「47都道府県行こう」ってやっていたんです。

でも、私が一時期休業したり、所属するレコード会社が変わったりで、ずっと行けていなかったのを、20周年で改めてやろうとなったのが「アナタ色ノ街」なんです。やっぱりね、会いに行かないと、その人の心に入れてもらえないんですよ。忘れ去られていくんです。

SNSを運用してはいますけど、そういったツールは情報は流れるんだけど人の心には入り込まないっていうか。だから、改めて、会いに行くっていうことをしたいなと思って。お客さんが、すごい目の前にいたりして。同じ演目でも会場によって、全然空気感が違うんですよ。

――ユニークな会場が多いですよね。

そうなんです。ライブをするためにつくられた空間じゃないから、音響さんもヒーヒー言って大変なんですよ。でもね、みんなで創意工夫して頑張っています。

我々は、みなさんがいる暮らしのなかにお邪魔する旅芸人です。旅一座がやってきましたよ、という感覚で楽しんでいただけたら、私たちがやっていることにも意味が出てくるのかな。このツアーは、これから長く地道に育てていきたいと思っています。続けていけたらいいなって。それで「行ってみよう」という人が増えてくれたら、すごくありがたいことですよね。

――やっぱり、ライブをすると「自分の曲を愛でてくれる人がこんなにもいるんだ」という実感が湧きますか?

そういう人がいてくれることで、とてもリアリティのある歌唱をしているんだなと思えます。

――リアリティ、と言いますと……?

大きな舞台で照明を浴びて光のなかで歌うというのは、演劇に没入している感じに近いんです。非常にエモーショナルな体験で大好きです。でも、いろいろな町に会いに行くと、その脚本は通用しないというか。本当に“ライブ”なんですよね。ちゃんと、ここに人が生きているんだなって。生きた人に目の前で会える機会なんだなって。

あ、あと、ツアーで『夜の怪物』っていうハンカチ付きのシングルCDを販売しますので、それを買ってねって書いてください(笑)。

――え、さらっと重大情報が!!!! 会場限定CDということですよね!?

そう。かわいいタイトルでしょ。さっきは、この年になるとセンチメンタルなほうに落ちないよって話をしましたけど、この曲はどちらかというとセンチメンタルな曲なんです。世間に追いつけないところに呑まれている人の様を歌った曲で。夜な夜なその怪物に心を呑まれるから“夜の怪物”ってタイトルなんですけど。

――このタイミングで、そういう曲ができたのはどうしてなんでしょうか。

なんだろう。大きな視点の話をしましたけど、一方で、己の肉体が失われていくことや、できることがどんどん減っていくみたいな恐怖があるわけです。それはなるべく見ないようにしてきたけど、自分にできることはもう何もないんじゃないかという思いもどこかに存在していて。それが形になった曲なんじゃないかなと思うんですけど。

「そうは言っても不安な夜だってある」と、そんな大人のための曲です。カップリングは『STEP OUT』という曲で、実はやはり壮年の女性の応援歌なのです。 今私は生きている。そんな曲です。

――おぉ、今回の企画にマッチしていますね。ああ、会場限定CDって、いつの時代も胸が躍りますよ。

そうですか?

――そうですよ。配信で済むものを、わざわざCDという形にしてくれるんですから。記念になるじゃないですか。

ありがとうございます。CDがなかなか聴かれなくもなっているので、だから素敵なハンカチをつくってみたのです。気に入ってくれるといいな。極端な場所にしか行かないので、会場限定って、どうなのかなと思っていたけど。

――だからこそ、記念になると思いますよ。……お、そろそろ時間ですね。本日はありがとうございました!

取材を終えた日の夜、安藤さんから一通のメールが届いた。それは、安藤さんから同世代の女性への、掛け値なしの言葉だった。メールの内容を抜粋し、この記事の筆を置きたいと思う。

「なんだか取材中は横道に外れて核心を喋られなかった気がするのでこちらに書きます。

私が40歳になる女性達に伝えたいのは、自分を一番に愛でて、労り、褒めてあげてほしいという事です。

先ほどもお話したけれど、40代というのは良くも悪くも国の支柱であるべき世代で、大きな責任を担っています。家族間においてもそういう方は多いと思う。

だからこそ女性は隙間のない暮らしをしている方も多い。みんな追われて一生懸命。タスクが多すぎる。

でもこの世界では自分の責任を果たす事が大人の振る舞いとして求められてしまう空気感がある。

ある意味とても窮屈で、見張られているような気持ちにもなる。

でももっと自由で良いはずなんです。
心が躍る日々をみな平和の元、謳歌するべきなんだと思う。

その為にも社会をもっと良くしなければならないし、互いに優しくならなきゃいけないと思う。

お互いに粛清の空気で周りを見ていてはいけないと思うのです。
本当に見張るべきはきっともっと別にあるしね。

変わりゆく時代の中で健やかに、衰えていく身体の声をよく聞いて、誰かの為にだけ走るのではなく、『頑張ってるよね、自分は』って褒める時間がとても大事だなって思います。

その頑張りが無駄にならない為にも社会の動きによく目を配り、何が起きているかをよく見定める。

そういうサイクルが巡り巡って、利他ともなるのだと思います。
身体は辛いけれど、本当に。。頑張りどきですね。

とまあ、伝わるかわからないけれどそんな事を伝えたかったのです。」

安藤さん、改めてありがとうございました。
シングル『夜の怪物』と安藤裕子さんのツアー「アナタ色ノ街 vol.2」の情報は下記リンクから!

https://www.ando-yuko.com/contents/847306

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