中川淳一郎さんは、私が尊敬する、数少ない同業者の一人だ。物怖じしない切れ味のいい発言には、憧れるものがある。寄稿をご依頼し、執筆を快く快諾していただけたのがうれしかった。そんな中川さんは、新型コロナウイルスとマスクを巡る分断について、寄稿を寄せていただいた。
<プロフィール>
1973年生まれ。1997年、一橋大学商学部卒業後に博報堂へ入社。2001年に退社後、雑誌ライターや『TVブロス』編集者などを経て、2006年からは、さまざまなネットニュース媒体で編集業務に従事。PRプランニングの場でも活動。2020年8月31日に「セミリタイア」を宣言し、第一線から退くが、執筆を中心に活動している。著書に『ウェブはバカと暇人のもの』『ネットは基本、クソメディア』『電通と博報堂は何をしているのか』『恥ずかしい人たち』など。
自由な言論の場は日本にあるのか
「日本に自由な言論の場はあるか」――このような問いに対してどう答えるかが今回のテーマだが、日本に限らずそんな場は仲間内でしか存在し得ない。少なくとも先進国と言われる国では、「公の場、職場、学校等で言ってはいけないこと」が増え過ぎたのである。それを明確に体感できたのが、10月後半にイーロン・マスク氏がツイッターを買収した後のことだ。
海外のジャーナリスト、主に保守派だろう。彼らが男女問わず「すべての人生は重要だ」「この世には2つの性別しかない」「ワクチンはゴミだ」「男性は子供を産むことができない」などとツイートしたのである。これは、どこの範囲まで意見を述べることができるかの実験だ。マスク氏の買収以前、これらの言葉はタブー視された。「すべての人生は重要だ」は英語ではAll Lives Matterで、BLM運動の語源であるBlack Lives matterへの対抗として使われたが、人種差別主義者扱いされるのがセットだった。LGBTQを含め、性の多様性を認めるべきである、という観点から「レディースアンドジェントルメン」は使いづらい言葉になった。
スポーツでは、男性として生まれたトランスジェンダーの選手が本来の枠では「女子」の試合に登場し物議を醸したものの、男性ホルモンが一定量を下回っていたら女子として出場し、好成績を出すなどした。日本では男性器のあるトランスジェンダーの人が銭湯の女湯に入ることについても議論が発生。匿名掲示板・5ちゃんねるはかなり本音を書ける場所だが、「オレ、トランスジェンダーのフリして女湯入ろうっとwww」などと書く者もいるが、ツイッターやインスタグラムではこれらは避けて通りたいテーマだ。
左派が厳格にポリコレ的にツイートをチェックし、保守派の意見を通報をするのはアメリカも日本も同じである。保守派のマスク氏が買収したから上記のような言葉は許されるのでは、と実験が開始したのだ。私はこれらが削除されるか見てみたが、削除はされていない。ただし、地球温暖化については「これは嘘だ!」というツイッター社の警告は登場した。また、ドナルド・トランプ氏の永久凍結解除の見込みも報じられている。マスク氏の就任が影響しているのかどうかは分からないが、ツイッターを巡ってはマスク氏への対抗策も登場した。
マスク氏本人がツイッターで憤慨していたのだが、活動家がツイッターの広告主に広告を出さぬよう圧力をかけたのだという。恐らく「ツイッターは差別を放置するプラットフォームですよ。あなたの会社のイメージが悪くなりますよ」的な言い方をしたのだろう。ツイッターは90%が広告収入であるため、これは大きなダメージとなる。
「空気」が引き起こす分断
こうしたことから「自由な言論」というものは、今の世の中にはないだろう。各国で「空気」が醸成され、それに反する意見を述べると「反〇〇」「アンチ××」「カルト」「陰謀論者」と呼ばれるものだ。これがもっともクッキリと現れたのが2020年初頭に世界で開始した新型コロナ騒動である。基本的に対立する論調は2つあった。前者が圧倒的に「正しい」とされ、後者は「反ワク」「反マスク」「公衆衛生の敵」「カルト」と呼ばれた。後者側の専門家はメディアに登場する回数は極端に少なかった。
【常に優勢派の言い分】(「コロナは怖い・感染対策は効果がある」派)
新型コロナウイルスは、未知のウイルスで、人を殺してしまう。仮に治癒したとしても、後遺症が残る可能性があるため、いくら波が引いたとしても油断してはならない。これまで通り感染対策の徹底が必要である。マスクを着用し、消毒をし、アクリル板でガードし、移動は極力しないように。イベント等では声を出してはいけない。大切な誰かとあなた自身を守るために、適切な回数のワクチンを打ちましょう。3年経ちましたが、まだ未知のウイルスです。怖がらない人間は、公衆衛生の敵で、殺人鬼です。これから第8波も来ます。ワクチンを何度も打って、マスクを常時着用してコロナに打ち勝ち、「ゼロコロナ」を達成しましょう。経済より命です、お年寄りを守るために、子供・若者は感染対策の徹底と自粛など、できることはすべてやりましょう。
【常に批判の対象の言い分】(「コロナは怖くない。感染対策に意味はない」派)
新型コロナウイルスは当初はワケの分からない恐怖の対象でしたが、もう2020年春段階では「そこまでビビる必要はないのでは」となんとなく分かっていました。何しろ日本で極端に死者が少ないのだから。そして2021年夏の第5波が急激に収まったことから、人流も感染対策も意味がなく、もはや自然に人間は対抗できないことは明白でしたよ。そうした前提に立つと、マスクをはじめとした感染対策でどうにもなるものではない。現に、マスクをし続けてもう第8波が来ているではないか。ワクチンについても「2回打てば大丈夫」「使用期限は厳格」といった話だったのに、いつしか5回目の接種が推奨され、使用期限も6ヶ月が15ヶ月にまで伸びました。日本・韓国・台湾は「さざ波」の被害だったのに、ワクチンの接種回数の増加とともに、陽性者も死者も激増。コレって本当に意味あったのか? というか、現在、集団訴訟も起ころうとしているのに、まだ政府・専門家は推進を続けるのか? 挙句の果てにはワクチンを打っていたら旅行代金を割り引くという。この程度のウイルスに3年も付き合い、エボラ出血熱・ペスト波の扱いをいつまでし続けるのか。いい加減「これで終わり」の割り切りをしないといつまで経っても前に進めない。いい加減効果のないことを強要される社会をやめてほしい。
そして、記事でもそうだった。私が後者の論調で情報発信をしていることを各メディアは知っていた。これにより、私が連載をしていたいくつかのニュースサイトは私を起用しなくなった。複数の編集者に確認済みである。申し訳なさそうに「社の方針と違うんですよ。あと、中川さんは医療の専門家じゃないので、その人が『マスクは不要』とか言っても、サイトにクレームが来るだけでして……。科学的根拠がないんです」と来る。
さらに、ニュースサイト本体では掲載を許可してくれたとしても、より多くの人が見て、公共性の高いポータルサイトへの配信はできない、と言われたりもする。完全に言論統制である。コロナは怖いものであり、ワクチンとマスクは絶対的に素晴らしい存在という論調以外は認められないのだ。もしも私が感染対策の徹底を呼び掛ける立場だったら仕事は続いただろうし、ポータルへの配信もできたことだろう。なぜなら「著名な専門家の言うことと同じ」だからだ。これも「空気」である。
「『空気』に乗れた者にとっての言論の自由」
いや、ウイルスの専門家、ワクチンの専門家はいたものの、「新型コロナウイルスの専門家」「新型コロナウイルス対応ワクチンの専門家」なんて、いなかったワケだ。しかし、医師免許を持っていたりどこかの大学の教員であれば、好き放題言うことができた。基本的に医者というものは、安全策を取るものである。彼らは「マスクはもういりません」なんて言えない。2019年以前、マスクがウイルスから体を守るということはRCT(ランダム化比較試験)でも結果は出なかった。今ではマスクを推進している忽那賢志医師、岩田健太郎医師もマスクの効果を疑問視していた。日本の被害が少なかった時にツイッターで理由を聞かれた医師・作家の知念実希人氏は「マスクの差です」と明言。絶大なるマスク様の効果を述べていたのだが、2017年1月7日にはこうツイートしていた。
〈ここ数年は毎年数百人のインフル患者と接触し、咳やくしゃみを吹きかけられているが、全く感染しない。もはやいくらインフルが大流行していても、診察中にマスクすらしなくなっている〉
インフルエンザ流行時はマスクの効果を認めていないのに、コロナでは絶大なる信頼を置いている。一体何が変わったのか? 突然不織布マスクの性能が2020年以降劇的に向上したのか。いや、違う。あくまでも「マスクは効果がある」という「空気」が誕生し、強固になっただけなのである。
河野太郎・元ワクチン担当相は荒唐無稽な陰謀論を述べる人々を「反ワク」と罵倒し、「慎重派」も同じように扱い、ワクチンを打たない人間は全員気がデマを撒き散らかし、狂っているかのように扱う。ワクチンに懐疑的なことを言う人間をブロックする技についてはかなり長けており、当然私もブロックされている。ワクチン接種後に夫を失い、その被害と悲しみを訴える女性でさえブロックした。自分が邁進させたワクチン政策を否定する者に対しては「あーあー、聞こえない」という姿勢なのである。国民の声を聞かぬ下劣な国会議員である。
そして、ワクチンを打ったことを喜ぶ人や、ワクチンを打ったことを正当化したい人の声だけを聞こうとしている。この裸の王様のような男の言論封殺が批判される日はいずれ来るだろう。それは、ワクチンの集団訴訟が各地で発生した時だ。河野氏は「ワクチン打ったらたぶん感染しないってことも言えるんだと」「2億回打って亡くなった人は0」「2回打つ事でかなり効果が出る」「何度、『俺が全責任を持つから、どんどんワクチン接種を進めろよ!』と言いたくなったことか」と言った。しかし、これらはすべて嘘だった。河野氏こそ「デマ太郎」である。
しかし、「大臣がそう言っているのだから……」という「空気」が支配的になり、2022年2回ワクチンを打った人は81.4%に。3回の人も66.3%となった。そして、9月20日に接種が開始したオミクロン対応ワクチンは1ヶ月半が過ぎて約6%。これは「もういいかな……」という空気が作ったものである。しかし、過去に「早く打たせてくだせぇだー!」とワクチンにすがった過去を知っているため、まだ個々人が大っぴらに「打ちたくない」とは言えない状況になっている。
この「空気」というヤツは本当に厄介なもので、たとえばコメンテーターとして情報番組に出演したとしよう。ほとんどの場合、出演者同士がバチバチやり合うことはない。また、出演「してくださる」専門家に対して異論を挟むことはあまりない。番組全体を円滑に回し、シャンシャン、と終わらせるためには、出演者同士で空気を読み合い、一人だけが浮くことは求められない。
各党の重鎮が登場する討論番組というのもあるが、ケンカにはあまり発展することはない。各党の主張したいことを各人が発表するだけで、議論にすらならない。討論番組『朝まで生テレビ』(テレビ朝日系)については議論風になるが、両側の意見を持つ論者の人数が多すぎて、常に消化不良だ。そして楽屋でも別にケンカをしているわけではない。
しかも、司会の田原総一朗氏が常に割って入ってきて、同氏と意見の違う者を潰す。番組内で絶対的な権力を持つ彼だからこそできることだ。これも言論の自由はないし、「田原総一郎的空気」に出演者は従う。かつて「田原話法」という論を私は提唱したことがある。同氏は突然、斜め上からの質問を出演者にぶつけてくる。2012年、早稲田祭にてインターネットの言論についてテーマとしたシンポジウムに突然乱入してきた田原氏は、政治の話を開始。そして、私の方を指さしてこう言った。
「あなたはなぜ、小沢一郎があんなに嫌われているか知ってるか!」
想定外の質問にしどろもどろになりながら、「顔が怖いので女性からの支持が少ないからですか?」と言ったら再び同氏は私を指さして「ちがーう!」と一喝。その後持論を展開していく。誰かに突然想定外の質問を振り、的外れな答えをした後に持論を展開し「さすが田原さんは鋭い。それに引き換え、あの若造は馬鹿だな」と思わせる見事な「田原話法」である。
結果的に、この場も田原氏がすべてを持って行った。空気的に田原氏に誰もモノ申せなかったのである。まぁ、コロナで戦時中の反戦派のような立場に追い込まれた私だが、一応筋は通した。今後「空気」が変わり、私達が正しかったことが分かるだろう。言論の自由というものは、「空気に乗れた者にとっての言論の自由」でしかないのである。
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