5.年を重ねる度に自由になる
<プロフィール>
永井愛(ながい・あい)
劇作家・演出家。二兎社主宰。桐朋学園大学短期大学部演劇専攻科卒。「言葉」や「習慣」「ジェンダー」「家族」「町」など、身辺や意識下に潜む問題をすくい上げ、現実の生活に直結した、ライブ感覚あふれる劇作を続けている。日本の演劇界を代表する劇作家の一人として海外でも注目を集め、『時の物置』『萩家の三姉妹』『片づけたい女たち』『こんにちは、母さん』など多くの作品 が、 外国語に翻訳・リーディング上演されている。
――「メインストリートにいない感じ」というお話がありましたが、そのことへの不安はお持ちでしたか?
あったと思うんですけどね、もう思い出せないくらい淡いものなの。静が出て行くと決まった時の焦りは覚えてるんですけど。本当にもう、不安でたまらなかったですね。自分の足元がぐらつくようなショックでした。でも、絶対に引き止めちゃいけないと思って。お荷物になるのは嫌だったから。
私、自分が作品を書いて、公演をして、1000人を超える人が来るってだけで、すごいことをしてると思ってたのね。「この先も、こうやってバイトをしながら演劇をやっていくんだ」って、結構満足していたんですよ。
だけど、静はそうじゃなかった。彼女はテレビの世界でいろんなプロデューサーと出会ったり、企画書をつくったりしながら、脚本を書くようになっていくわけだけど、その中でプロ意識を育てたっていうか、多くの人が見るものを書く緊張感や使命感を感じていた。テレビは1%の視聴率で100万人が観る。だから、もっと大きいところで勝負しなきゃダメだっていう考えがあったんだと思うんです。
そして、40になる年に静が二兎社を辞めることになって、そこから初めて開けてくるものがあった。今となれば、あの時点での独り立ちは本当に必要な、大事なことでした。あのままずっと一緒にいたら、私は静に頼って、緩みきっていたんじゃないでしょうか。
一人になって、「それでもやるの?」って、自分がこれまでやってきたことをもう一回考え直した。いくらかシャキッとなったんですね。
いろんな人が助けてくれました。不思議と、そういう人たちが現れるんですよね。自分が意思を持っていると。だから、一人になっても続けてこられた。
1994年から、“戦後生活史劇三部作”っていう作品群を発表して、その内の一作『パパのデモクラシー』が“文化庁芸術祭大賞”を受賞したことが、新たな転機になりましたね。静が出て4年後、44歳になってましたね。
……そうだ、静と一緒に10年やったんだから、一人ならその半分の5年はやってみようって目標にしていたんです。芸術祭大賞の翌年がちょうどその5年目で“紀伊國屋演劇賞個人賞”、その翌年に“鶴屋南北戯曲賞”って、7・8年連続で受賞して、「賞ガール」なんて言われたんですが、そんな風になるなんて、まったく思っていなかった。逆に、認められそうにないから、そういう希望を閉じていたのかもしれない。
メインストリートにいなくても、小さな満足をしていたという状況において、「もっと大きな力を持ちたい」とか「もっと認められたい」とか、そういうことを願ったら、不幸になっちゃうじゃないですか。そういう若い人を結構見てきた。やっぱり、30くらいの時って、自分がこれからどう開いていくかっていうことに予想がつかないから、世の中から認められたお墨付きをもらいたいと思うんですよ。
――はい、それはもう、本当に……。
私は“岸田國士戯曲賞”を受賞した時、49歳でしたね。新人賞なんですよ、小説でいえば“芥川賞”のような。そしたら、「49になってもまだ岸田賞がもらえるぞ!」って、劇作家たちに喜ばれた(笑)。
私が受賞できたのは、時代の流れもありました。平田オリザさんに代表される“静かな演劇”の評価が高まったあと、先ほどお話ししたような日常的な表現形式も、“ウェルメイド”の枠の中だけじゃなくて、社会性を持った作品として見直されるようになったんです。
『パパのデモクラシー』(1995年)。左から大西多摩恵さん、二瓶鮫一さん、森山力夫さん。撮影=林渓泉
――大石さんがテレビの世界に行く一方で、永井さんは演劇をつくり続けていて。演劇をやり続けてきた理由というのは、何かあるのでしょうか。
わからないですね、それは。私って「今晩の夕食、何にしようか」ってことでも、なかなか決まらない人なんですよ。「魚か肉か、それとも豆腐?」なんて考えだすと一時間くらいかかっちゃう(笑)。買い物に行ってもそうなんです。こんなことでは生きていけないと思うぐらい、選べない。
でも、職業を選ぶってことではね、「大きくなったら何になろう」で悩むなんてこと、一度もなかった。小学校6年生の時には、もう役者になるって決めていて、中学になっても変わらなくて、そのまま高校時代もブレなかった。大学を卒業して、新卒で劇団に入れなくても、既成の権威に認められなくても、演劇をやるっていうことは、私にとって当たり前のことであって、辞めるという選択肢は出てこない。
「もう好きで好きで、常に演劇のことを考えていた」とはとても言えないのに。書こうと思っては、すぐくじけ、逃げて遊びに行ったりしながらも(笑)、演劇をやっていくという大前提が揺らぐことはなかった。なぜでしょうね。
やっぱり、喜びがあったからじゃないですか? 書くということは、何か新しいものを世の中に出していくことだから。(二兎社の年表を見て)自分ではこれ全部ね、すごく新しいものを世に提供したと思いながら書いたんです。「こんなものだれか見たことある!?」「こんな題材書いたことある!?」なんて、自惚(うぬぼ)れながら書いていた。それで時間が十分潰れていったんでしょうね。……何ていうか、恥ずかしいね。小さな自己満足ですよ(笑)。でも、結構それが生きる力になってたんだね。うん。
一番苦しみ、しかし一番自分の底力を感じられたのが演劇表現であって、やれば必ず、ダメでも反応が返ってくる。人と渡り合うための道具なんですね、演劇っていうのは。だから私は、演劇ではない、他の仕事についたとしてもきっとうまくいかなかったと思う。精一杯苦しんで何かを書き、稽古(けいこ)をし、観た人が何かを言ってくれるという循環の中でしか、私は世界を把握できないし、人ともつながれない。生きていくことの意味も把握できない。この循環が途絶えることが恐ろしい。うん、それはあります。
『こんばんは、父さん』(2012年)。稽古中の永井さんと俳優の溝端淳平さん。撮影=本間伸彦
<公演情報>
『片づけたい女たち』(グループる・ばる)
作・演出:永井愛
出演:松金よね子、岡本麗、田岡美也子
日時:2014年3月8日(土)14:00開演
場所:ゆめぱれす(埼玉県朝霞市民会館)
備考:地方公演あり。詳細はグループる・ばる オフィシャルHPにて
グループる・ばる オフィシャルHP
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『鷗外の怪談』(二兎社)
作・演出:永井愛
日時:2014年秋公演予定
備考:詳細は二兎社オフィシャルHPにて
二兎社オフィシャルHP
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