「自然を感じるアクセサリー」をテーマに、オリジナル性あふれる作品を発表しているアクセサリーブランド「Nico」。デザイナーを務める奥村仁幸に、ブランドのコンセプトや作品の特徴、ブランド立ち上げの経緯などを聞いた。現在のアートワークや学生時代の作品と共に紹介する。
奥村仁幸(おくむら・にこ)。「Nico」デザイナー。1985年生まれ、和歌山県出身。専門学校ヒコ・みずのジュエリーカレッジ アートジュエリーコースを卒業した翌2008年、アクセサリーブランド「Nico」を立ち上げる。アクリルの中に花や野菜などを入れたものや、コーヒー豆などをモチーフにしたアクセサリーを発表している。
Nicoホームページ=http://nicodesign.jp/index.html
取材・文=石川裕二(石川編集工務店)
写真=金子麻也
1.「指先に、自然を」(5/6公開)
2.「地球が素材」(5/7公開)
3.「ブランドの立ち上げ」(5/20公開)
4.「あたらしい作品、これからの『Nico』」(5/20公開)
彼女へのプレゼントづくりがきっかけ
ーー和歌山県の高校を卒業後、都内にある「専門学校ヒコ・みづのジュエリーカレッジ」に入学、卒業しています。アクセサリーをつくり始めたきっかけについて教えてください。
高校生のとき、当時付き合っていた彼女にプレゼントしようと、アクセサリー教室に行ったんです。シルバーで、スクエア型のリングをつくったんですけど、ハマってしまって。そうしたら、その教室の先生が「興味があるなら覗いてみれば?」と専門学校を紹介してくれました。
ーーアクセサリーづくりの、どういう部分が魅力だったんでしょうか?
自分で一からモノをつくって、誰かに喜んでもらえるという点ですね。そういう原動力となる部分は今でも変わらなくて、イベントショップで販売に立つのも同じ感覚なんです。
すべてをマテリアルに
ーー専門学校時代は、どういうことを学んでいたんですか?
最初はジュエリーのデザインをメインに学ぶ「デザインコース」に進学したんです。「カルティエのデザイナーになって、ガッチガチのデザインをしたい!!」と思っていて(笑) 「デザインコース」では、シルバー、プラチナ、18金などを使ったアクセサリーのデザインをしていました。でも、多くの消費者に受け入れられるような商業的なデザインをしっかり学べる分、個性を出しづらいと感じるようになってきたんです。
それで、次第に「人と違うものをつくりたい」「自分にしかできないデザインをしたい」と思うようになってきて、3年次に「アートジュエリーコース」にコースを変更しました。「デザインコース」はもともと2年次で修了するのでかなり悩んだんですけど、「こっちに来なさい」という先生の一声で決断出来たんです。
ーーその先生というのは?
ジュエリーアーティストの嶺脇美貴子さんです。お椀をカットしたブレスレットや、ガンプラ(アニメ『機動戦士ガンダム』のプラモデル)のパーツを加工したネックレスなど、変わったモノをつくっている、業界では世界的にも有名な人です。2年生のときに嶺脇先生に出会って、そういう個性的なモノづくりに憧れたんですよね。
そういうちょっと変わった先生のもとで学んだこともあって、コースが変わってからは、シルバーなどをほとんど使わなくなって、木材やペットボトルのキャップなど、色々な素材を使うようになりました。デザインコースとは違って、「自分の個性を出しなさい」というところで、アクリルを初めて使ったのもその時ですね。
でも、すごいんですよ。嶺脇先生の一発目の授業が「ゴミを拾ってアクセサリーをつくる」ですからね。アルミホイルを巻いたり、ベルトを細かく裂いてネックレスにしたり、プランターの網を溶かしてリングにしたりとか……。ちょっと一歩外れているというか、正直、「なんでこの学校に入ったんだっけ?」と思ったり(笑)
でも、今思うと、そのときの「何でも使おう」という発想が、今のモノづくりに結びついているんだと思います。
ーー専門学校時代は、どういう学生でしたか?
いやあ、遊びまくってました! 渋谷でケードロしたり(笑) でも、学校はちゃんと行っていましたよ。3年次の途中までは皆勤賞でしたから。そのときは「デザイナーになりたい」という漠然な思いしかなかったんですけど、コースが変わってから少しずつ変わっていきました。
あとは、夏休みを利用して、バッグ片手に一カ月ほどアメリカを一人旅したんです。今しか出来ないな、と思って。宿も調べずに行き当たりばったりで、電車の周遊パスを買ってアメリカ国内をまわりました。ロサンゼルスからグランドキャニオン、シカゴ、ワシントン、ニューヨーク、ボストン、シアトルでロスにまた戻ってくるっていうものだったんですけど。
行く先々で友だちが出来て、特に印象に残っているのはイスラエルから来た僕の1歳上の人たち。泊まる部屋が一緒だったので話していたんですけど、「軍隊に入る前の最後の旅行なんだ」と言っていてました。軍隊に入ればお金はもらえるし、地位が確保されるからって。そのとき、自分はまだまだいろいろな世界を見られるんだから見ないといけないな、と思いましたね。そういう人たちとの出会いは、心に強く残っています。色々ありすぎて、全部話そうとしたら明日まで掛かりますよ!(笑)
ーー日本じゃ見られない風景が、様々な観点であったと思います。今のアクセサリーづくりに影響していることなどはありますか?
グランドキャニオンはすごかったです。あそこは、全てが自由なんです。寝転がって雄大な自然を肌で感じていると、いろいろなアイデアが出てくるというか。
ちょうど、帰国後に『紙いちまい展』という、紙を使った作品展を仲間と開くことが決まっていたんですけど、そのときはアメリカの一人旅で手に入れた「紙」を使った作品をつくったんです。地図やレシート、航空券などを星の形に切って、アクリルの板で挟んだものを石膏(せっこう)で固めて真っ白にしたブローチなんですけど。身に付けている内に石膏が落ちてくるので、段々と地図とかが見えてきて、当時の旅の思い出がよみがえってくるんです。結局、自分にしか分からないものなんですけど、今でも大事に持っています。
就職と葛藤の日々
「やりたいことをやる」
ーー専門学校を卒業後した06年には、ブライダル用のジュエリー会社にデザイナーとして就職しています。アートジュエリーコースではその対極とも言えることをやっていたと思うのですが、どうしてでしょうか?
「これじゃ食べていけないな」と思ったのが正直なところです。アーティストになるというのは、やっぱり難しい。そこで一回諦めてしまったんです。
でも、その会社は結局1年で辞めてしまいました。ダイヤモンドとか、そういうものに魅力を感じなかったんです。やりがいを感じなかったわけではないんですけど、目指す場所が違かった。一年働いて、それに気が付きました。就職する前とした後で、気持ちが変わってしまったんです。「食べていけなくても、やりたいことをやろう」と思いました。
ーー「やりたいこと」というのは、今のようなアクリル作品のイメージがあったんでしょうか?
「アクリルに素材を入れる」という具体的なものではありませんでしたが、構想はできていました。アクリルシリーズのイメージは、専門時代にスーパーで野菜を見たのがきっかけと話しましたが、そのときは学校の課題もあったり、「アイデアの一つ」という感じであっただけなので、実際につくるまでには至らなかったんですよね。でも、頭の中にはずっとあって、レストランで料理を食べたりするときに、そのイメージがどんどん膨らんでいって、「やっぱり、これだ」と思ったんです。ほかに、シルバーの作品もつくろうと思っていたんですけど。
ーー一度は諦めた道を再び志すというのは勇気がいることだと思いますが。
やっぱり悩みましたけど、自分の気持ちに気付いてからはすぐに行動に移して、今の山梨のアトリエに住み始めました。山梨はアクセサリー産業が盛んなんです。家賃も都内に比べれば、やっぱり安いですし。もう、間髪おかずに「行く!」って感じで(笑)
不安はもうなかったんですよね。逆に、やるしかないんだ、という気持ちで。専門時代の友人は、本当はやりたいことがあっても、やっぱりそうじゃないところに就職していたり。僕ぐらいは、自分の道を進むのもありなんじゃないかな、っていう思いもありました。両親も応援してくれて、「やりたいようにやれ!」と言ってくれて。本当に、今でも感謝しています。
【出店情報】
「ナチュラルスタイルフェア」
日程:5月11日(水)~16日(月)
時間:10:00~19:00
場所:伊勢丹 相模原店 2Fイベントスペース内
「イベントショップ」
日程:5月17日(火)~30日(月)
時間:10:00~19:00
場所:そごう 横浜店 B1Fトランスマーケット
「イベントショップ」
日程:5月26日(木)~31日(火)
時間:10:00~20:00
場所:東京ますいわ屋 名古屋サカエチカ店
「イベントショップ」
日程:6月9日(木)~15日(水)
時間:10:00~21:00
場所:東急百貨店 渋谷駅・東横店 2Fアクセサリー売り場