夏が好きだ。冷房の掛かった空間から外に出て、むわっとした熱気に出迎えられる度に「ああ、夏だ」と思う。その暑さにうんざりする一方で、すぐさませつない気持ちがやってくる。陽炎のなかに過ぎ去りし日の思い出が揺らめく……なんて言うとセンチメンタルだけど、感情の波のもとをたどると、そこに行き着くように思う。
照りつける太陽と、家の庭にふくらませてもらった小さいプール。立ちのぼる入道雲と、バッタの入った虫かご。首をまわす扇風機と、カッちゃんの死に呆然とした『タッチ』の再放送。立ちこめる草のにおいと、父の田舎である岩手のあぜ道。夕立ちの去ったオレンジ色の空と、友だちと別れて家路につくときの物悲しさ。暗がりに聞こえる虫の鳴き声と、意中の女子たちと花火を楽しんだ公園の夜——夏を彩る要素からフラッシュバックする感情・思い出はさまざまだ。
夏にしか見られない景色や、体験できないそれらのすべてが美しくて、儚くて、胸が一瞬、ぎゅーっとなる(書いていて、自分が30歳のおっさんだということを忘れてしまいそうな文章だ)。
こないだ、5歳になる長男が通う幼稚園の“夕涼み会”に2人で行ってきた。息子はかき氷を食べたり、ヨーヨー釣りをしたり、盆踊りを踊ったり、友人と話してニコニコしたりと楽しそうだった。そのあとは、幼稚園の近くの田んぼでザリガニを探したりと、自分も楽しかった。息子を通じて、幼い頃の記憶を追体験しているようだった。
帰り道、コンビニに寄ってお酒を買った。店を出ると、ほのかなオレンジだった空一面に、ピンク色ともムラサキ色とも言いがたい濃いグラデーションが広がっていた。「きれいだね」と息子に話し掛けたら、「パパがお酒なら、これもいいでしょ!」と買ったばかりのグミに夢中だったけど。夕焼けは、家に着く頃には暗闇をまとっていた。
独立してからは仕事だらけの毎日で、夏の思い出といえば学生時代のことばかりだったけど、これからは子どもとの記憶が増えていくんだろうな、と思う。自分は土日も関係なく働く仕事だから、子どもが家にいる夏休みのあいだのほうが、一緒に過ごせる時間が少しだけ長くなる。
うちの父も自営業で普段はなかなか遊べなかったので、父との思い出といえば夏休みに岩手で過ごしたことばかりを思い出す。自分の子どもが成長したときも、夏の暑さに父との思い出がよみがえるようにしたいものだけど。手帳とにらめっこをしている。