シャツの上で、木漏れ日が描いた葉の影が踊っている。
今日は原稿の締め切りや取材などがなかったので、
近くの川沿いにあるベンチに座って朝ごはんを食べた。
セブンイレブンで買った、新発売のサンドイッチ。
クリームチーズとレタス、ハムが入っている。
それと、コーヒー。その苦さに少しずつ目が冴えてくる。
きらきらと輝く水面、頭上に広がる新緑の天井。
こんなにゆっくりと落ち着いて朝食をとるのは久々だ。
フリーの編集者として独立して2年が過ぎ、
死ぬほど努力したとまでは言えないが、
この1年は自宅のほかに事務所を借り、
専業主婦の妻と息子を養ってきたのだから、
まあ、それなりに忙しい日々を送っている。
働いた分だけ収入が増えるのは、フリーランスの利点だ。
逆に言えば、働きたくても、仕事がなければ収入はない。
仕事があるのはありがたい限りだ。
仕事があるに越したことはない。
しかし、忙殺される日々にうんざりすることもあった。
自営業だからといって、休みたい時に休めるというわけでもない。
打ち合わせ・取材・原稿の制作・入稿・校了などなど、
確実にこなさなければいけないタスクが、
わんこそばよろしく、休む間もなく、
次々とお椀の中に入ってくる。
食べなければ次のそばを入れられないが、
食べれば食べるほど胃の許容量の限界を超えて苦しくなる。
吐き気をこらえながらも、胃の中に捨てるように流し込み、
消化不良のまま、世に排泄されるのだ。
……まあ、私はそこまで差し迫った状態にはならなかったが、
どうせ、そばを食べるなら、もっと風味などを味わいたいと思うのだ。
そこで、今年の春から、作業の一部を外注するようになった。
といってもテープおこしの作業だけだが。姉に頼んでいる。
私は月に5本程度、録音を要する取材を行っている。
一本当たりの録音時間が1・2時間なので、
それを文字に起こすとなると、私の場合は
1時間のテープで2時間前後は掛かる。
ということは、外注に出すことで、
最大約20時間もの時間を捻出していることになる。
時間の余裕は、心の余裕。
記事の推敲を以前よりも満足のいく形で出来るようになったし、
冒頭のように落ち着いた食事が出来るようにもなった。
「この道はジョギングしている人が多いんだな」とか、
「鳥が毛虫をついばんでる。残酷だけど歩き方が可愛いな」とか、
ベンチに座りながら、ぼ〜っとして考えていたら、
なんだか文章を書きたくなってきた。
「とりとめもないことを、とりとめもなく記す」
——書きたい何かが生まれたのだと思う。
足早に家に帰り、パソコンに向かい、今に至る。
本当は、自然という食卓でともにご飯を食べている鳥の姿を見て、
頭の上に毛虫が落っこちてくるのが怖くなったのだけど。
文章を書くことが好きなくせに、仕事以外では
ほとんど記事をつくることがなくなっていた最近。
自分にとって、とても大きな一歩だ。うれしい。
緑の天井の、わずかなすき間から射したまばゆい光は、
僕にとっての希望の光だったのかもしれない。
なんて。