「素晴らしきかな、ヴィジュアル系」第7回/aie
deadman、kein、gibkiy gibkiy gibkiy、the god and death starsと複数のバンドで精力的に活動するギタリスト・aieの音楽的ルーツを、庄村聡泰(ex. [Alexandros])が紐解く! その唯一無二のギタープレイがいかにして生まれたのかや音楽のルーツが事細かにわかる内容になっているぞ。同日公開したインタビュー記事「deadmanの“核”を形成するものとは――。aie新バンドの独占情報も!」もお見逃しなく!!
取材=庄村聡泰
文=石川裕二
「すげえと思ったのは、長岡亮介」
――自分は邦ロックに深く関わりがあったり、メタル系でも仲のいいバンドがいたり、最近ではアイドルの記事も書かせていただいたりしているんですけど、どこをどう見渡しても、日本にaieさんみたいなギタリストがいないんですよね。
うーん……。よく言われるけど、「そうなんですか?」みたいな。高野哲さんと長岡亮介さんと、ジョン・フルシアンテを足して水割りにしたら、おれになるっていうか。
――そこに長岡さんも入るんですね。
長岡さんがおかしなフレーズ弾いているぞ、っていうのはある。同時に長岡亮介さんとジョン・フルシアンテには、すごく通ずるものを感じる。特にジョンは『母乳』とかよりも『カリフォルニケイション』の時期だったかな。それを聴いた時に、グッと自分に入ってきた。
――それは弾くべきところを弾かなかったり……?
そう! 暴力的な部分はカート・コバーンから学んで、繊細な部分はその2人から学んだ。
――ニルヴァーナとジョンからの影響はいろいろな媒体の記事でも書かれていたんですけど、長岡さんは東京事変からですか?
うん。で、ペトロールズも聴いて。その前にも、林檎ちゃんのソロで、作曲が浮雲(=長岡亮介氏の別名義)の曲があったんだけど、きれいなアルペジオだなと思って気になっていて。後に東京事変になって、うわ、やっぱきた、すげえなと思った。調べたら年齢が一緒だし、クールだし、すごいやつがいたなって。一番好きなのはギターじゃないところも似ているし。1位が車なんだって。
――aieさんの1位は何です?
一番はオフかな。仲間と飲みに行くから。でも、ストレス解消は料理。ゲームをやらなくなっちゃったから、料理をつくってYouTubeをサーフィンしながら晩酌するのが今は一番かな。で、翌朝何も覚えていないってくらいが幸せだなと思う。
――ちなみにギターは……?
ギターは結構下のほう。おれ、今使ってるギターを盗まれたって、そんなに悲しまないと思う。あくまで想像だけど。どこにでも売ってるようなやつを使ってるから。
――そうなんですね。INORANさんが最近、レシピ本を出しましたからaieさんも出しません?(笑)
おれのはそんなにオリジナリティがない気がする。YouTubeで見たレシピを再現しているから、人のものなんだよね。でも、近い未来、暇になったら調理師免許を取りたいと思って調べ始めてるよ。
――わ、そこまで! 得意料理を一つお聞きしてもいいです?
最近つまみでつくるのは、手羽元のファミリーパックみたいなのを1キログラムくらい買ってきて、ダシと醤油、みりん、酒、生姜、唐辛子で1時間くらい煮込んで、一晩に5本くらい梅干しと一緒に食うっていう。梅干しはあまり好きじゃなかったんだけど、健康のために一日一粒食べようと思ってて。で、梅干しを食えないおれが編み出したのが、好きな鶏肉と一緒に食べれば我慢できるんじゃねぇかっていう。手羽元5本でスーパードライ500ml缶3本飲むからね。
――いいっすね!
それをつくる時間がない時は、コンビニのサラダチキンのささみスモークがあるじゃん? あれ一つで同じ量飲める。厚さ3mmくらいにうす〜く切って(笑)。
黒夢との邂逅
――aieさんの音楽への目覚めはV系ではなかったんですよね?
そっちで言うと黒夢。でも、その前に中学生の時、CHAGE&ASKAが絶頂期だったから。名古屋に来たら、必ずライブを観に行っていた。あとは、たまかな。子どもの頃はおもしろい歌だと思って聴いていたけど、同じ曲でも年を取ってから聴くとグッと印象が変わるというか。ほかにも安全地帯とか、ジャニーズで言うと男闘呼組。
――黒夢との出会いは、どんな感じだったんでしょう?
家族旅行で石川県に行った時に、サービスエリアで黒夢の機材車らしきものを見たんだよね。ハイエースに、確か紫色のスプレーで「黒夢」って後ろにデカく書いてて。で、家に帰って、hideさんが表紙だった雑誌を読んでいたら、名古屋の円盤屋の広告に「黒夢」って書いてあって、「あ、あれバンドだったんだ」って。……そうそう、Xが好きだったから、入り口はXかな。
――伝説のレコード屋さんですよね。「Break Out」で店長が毎週オススメのCDをレコメンドするコーナーがあって、キャラが強かったのでよく覚えています。
そこから黒夢を聴き出したんだけど、「中絶」っていう言葉の意味を知る前に『中絶』を買ったからね。聴いたら、ものすごくって。とにかくエネルギッシュ。Xとは違う感じで、一気にハマった。『生きていた中絶児』っていうデモテープがCD化するって言うんで、それも買って、ライブを観に行ったもん。それで、人時さんの誕生日かな? ライブかイベントがあって、そこで「Laputa結成」と書かれたフライヤーをもらったんだよね。先着何名にテープ無料配布ってやってて、それも行って。かっこいいじゃん、みたいな。
――そこから、さらにニルヴァーナと、レッチリのジョンに出会うわけですね。
ほぼ同時期だと思う。『ネヴァーマインド』の初回盤が、ビニールの中で赤ちゃんがぷかぷか浮いているような特殊パッケージになっていて、振ると動くみたいな。そういうのもかっこいいなと思って、ジャケ買いして。調べたら、名古屋のクアトロにツアーで来るってわかったんだよね。でも、当時、中学生のおれには7000円のチケット代が高くって……。今思えば、行っときゃよかったなと思うんだけど。と言うのも高校受験の時、試験が終わって家に電話したら、母ちゃんから「あんた、カート死んだよ」って言われて。ニルヴァーナの思い出です。
影響を受けた2人のギタリスト
――そこから洋楽などを聴き、ライブハウスに足を運ぶなかで自身でもバンドを結成して。
そうそう。やっぱ、高校に入ると「あいつ、ギター弾いてるらしいぜ」みたいな噂が広まって、バンドやりたいやつらから声を掛けられて。カバーで5曲やるってなった時に44MAGNUMとLUNA SEAとエアロスミスとラフィン・ノーズをやったっていう。めちゃくちゃなセットリストでしょ。
――確かにめちゃくちゃ! でも、当時のV-ROCKっていろいろなジャンルの水割り的な形で存在していたから、こうやってルーツを辿った時に、そういう風に幅広い選曲だったっていうのも納得です。
黒夢の臣さんが44MAGNUMをすごくリスペクトしていると知って、「なら、おれも聴かなきゃ」って聴いていたんだよね。臣さんが好きなものを自分も好きになろうと思ってた。牧瀬里穂とか。
――ははは!(笑)
やっぱね、師匠が好きな女優はおれも一応チェックしとかなきゃ、みたいなね(笑)。なんかの本に臣さんの日記が載っていて、東京の三軒茶屋のレコード屋でNICKEY & THE WARRIORSのCDを買ったとか書いてあって、「いつか東京で住むならここだな」みたいに思ってた。その手のキッズ魂がずっと残ってる。
――あぁ、じゃあ、aieさんのキャリア初期の憧れの人物は……。
臣さん。かっこいい。黒夢はどハマりしてた。Xはね、聴いた瞬間におれには無理だと悟ったっていうか。中学生の頃、弾けない。『BLUE BLOOD』の「PROLOGUE (〜WORLD ANTHEM)」弾いて終わっちゃった(笑)。LUNA SEAはボーカルとベースに憧れた。今は好きで聴いているけど、当時の中学生のおれにはやっぱり弾けないと思っちゃったから。でも、黒夢は臣さんが本当に好きだったから、なんとかして弾きたくて。ストラップの位置をマネしたり。おれ、臣さんのモノマネをずっとしていたから、若い頃に右手のピッキングが上手いって言われてたのは、臣さんのおかげかなと思ってる。上手い人を手本にしたほうがいいってよく言うけど、それが臣さんで本当に良かったなって。
――いろいろと、つながってくる気がします。LUNA SEAのベースに憧れたって話を聞いて腑に落ちたのが、aieさんって結構なリズム中毒じゃありません?
そうかも。あとは、あんまね、ギタリストには興味ないんだよね。臣さんは特別として。ボーカルにグッとくる。特にギターボーカル。林檎ちゃんもそうだし、ROLLYさんとか。ギターボーカルが弾くギターフレーズが好きで。
――それで言うと、常にうねってもいるけれど、グルーヴの中心なんですよね。aieさんのギターって。kazuさんがストレートにしっかりとしたラインを弾いて、そこに縦横無尽に歌う眞呼さんを盛り立てたりみたいな、バンドのうねりをaieさんのギターが担っているっていう感覚がすごくあるんですよね。
そうなってきたのは、deadmanの解散前の最後のほうかな。そうあるべきだと思ったから。高野哲さんかな、影響強かったのは。
「なんで、これでいい音になるの?」
――今の相棒である、テレキャスターとの出会いはいつ頃だったんでしょうか?
あれはね、the studsっていうバンドをしていた頃にね、渋谷の中古の楽器屋さんで見て「かっこいいじゃん」って思って。10万円くらいだったかな? 響(ex.the studs)といたと思うんだけど。「買えばいいじゃん」って言われて買ったんだけど、おれ、その時ESPと契約してたから使えなくて(笑)。まあ、だから音よりは見た目が先行して買ったタイプ。
――その時の物を今も?
10年くらい前に同じのを見つけて、今はそれと2本使ってる。また見つけたら、同じの買うかも。
――それくらい信頼を置いている……?
なんかね、もっといいテレキャスいっぱいあるんだけど、「ここにバインディングして、ちょっと後ろ削ってほしい」「ブリッジの形状が〜」とか考えると、あれが一番ドンピシャで。イチからつくればいいんだけど、1年も待てないから。
――今、テレキャス使いの人もめずらしくなってきましたよね。
昔、vezと一緒にツアー回ってる時に……、THE HATE HONEYの高木フトシさんのいるバンドね。フトシさんに言われたのが、「日本人ってテレキャス似合わねぇと思ってたけど、浜田省吾より似合ってるよ」って言われて(笑)。「押忍!」って返事したんだけどさ。
――ははは(笑)。そのテレキャスの使い方も、ギャンギャンギラギラの音でアルペジオをかましたり、アベフトシみたいな鋭いカッティングをしたりっていう使い方じゃないじゃないですか。すごい乾いている音で、切り裂かれているような低音。特にリフがすごいなっていう印象で。
でもね、音づくりのこだわりはないよ。レコーディングでも、ギターだけ持っていってスタジオのアンプを借りて鳴らすだけ。基本的には手ぶらかな。
――それは、弾けばおれになるっていう。
って言われるね。自己分析もできていないから、よくわかってないけど。
――僕も本当に不思議で。鋭くて、かつ低音もあって、でも昭和感もどこか漂うんですよね。レンジが細いギターのはずなのに、バリトンギターかなってくらいヘビーな音も鳴らしてらっしゃるので。
前にメリーとツアー回ってる時に、メリーのテックの人がおれの足元見てさ、「なんで、これでいい音するのかわかんねぇんだよな」って。
――やっぱり右手だと思うんですよね。スナップですよね。
だとしたら、臣さんのお陰。
――逆に言えば、INORANさんってピッキングが超弱いらしいんですよ。だからこそ、あのアルペジオのトーンになっているっていう。aieさんも、鋭いストロークがあってこその音なのかなと思います。
ファンデーションを塗らなくなった日
――今のaieさんのスタイルって、いつ頃から定着したんでしょう?
30歳過ぎてからかな。今、仕事を受ける上での条件っていうのがあって。それが、ファンデーションをしなくていいこと。って言うのも、それで断った現場があるから。
――それを世に出るインタビューで言えちゃうのって、すごくかっこいいと思います。だって、公言したら他でもそうしないといけないじゃないですか。メイクをしないと決めたのはいつ頃のことなんでしょうか。
15年ぐらい前かな。新宿LOFTで、ZI:KILLの飯田成一さんがやっていたjohnny loves brautiganとthe god and death starsで対バンした時の打ち上げで、どんな会話の流れだったか覚えてないけど、成一さんから「aieくん、今日からファンデーションやめたほうがいいよ」って言われて、「押忍!」って。そしたら、グッとラクになったっていうか。そういう風に見られちゃうから、音楽も。
ヴィジュアル系の先輩たちが頑張ってロックンロールやろうとしても、永遠に“ヴィジュアル系”って呼ばれているのも知っているからさ。ヴィジュアル系って言われた時に怒るような先輩を見てきたし。でも、THE YELLOW MONKEYはヴィジュアル系って言われないんだ、みたいな。ZIGZOでもヴィジュアル系って言われるのにね。だからもう、受け入れるしかないっていうか。時代が変わって、別に恥ずかしい呼び方でもなくなってきたからさ。
deadmanで見えた“音楽の道”
――ファン目線で言うと、aieさんは音楽を辞めていた眞呼さんをもう一回ステージに立たせてくれた方でもあり、kazumaさんを表舞台に呼び戻した方でもあります。きっと、曲者ボーカルに愛される人なんだなと。aieさんがパートナーじゃなければ、こうはならなかっただろうなと思うんです。
これも“血”というか。Kazumaさんの影響を受けた眞呼さんがいて、その眞呼さんとずっとバンドやってて。deadmanが終わって、kazumaさんから「なんか一緒にやろうぜ」って連絡があって。「どんなのやります?」って聞いたら、「傷口で言えば、血だらけでベトベト」って(笑)。もう、それ聞いて「押忍!」って。
――それはHIGH FASHION PARALYZEです?
そうそう。
――ハンパねぇな〜〜! そのようにして、ゆずの魔改造のようなユニット・HIGH FASHION PARALYZEが生まれていたとは。たぶん、ボーカリスト的にも自分に負けないぐらいの個性があるギタリストと組みたいんでしょうね。
おれは自分がモテたい、カッコつけたいが20代前半で終わったから。バンドの看板がセンターにいた時に、客観的に自分を見て、どういうタイプのギタリストならおもしろいかっていうことを考えるようにはしてる。でも、売れたいっていうよりかは、どうすればみんなが揉めないかを最優先に無自覚にしているかも。自我が強過ぎてケンカするくらいなら、何も言わないほうがいいと思っちゃうタイプ。自我を出すより、バンドが続くほうが大事だから。
――今だから言えるんですけど、自分、局所性ジストニアになって一回ドラムやめてるんです。でも、最近、本当に楽しいっていう理由だけでドラムをやれるようになったんです。
それが一番いいと思う。
――いつか、本当にセッションとかあったら呼んでください。おれだって、aieさんと一緒にやりたいと思っていますから。最後に、作曲技法についてお聞きしたいです。
keinから始まって、deadman、the studsまでは全員4人で顔を合わせてつくってるんだよね。だから、全員でアレンジを考えてる。クレジットはおれだけど、バンドで共につくり上げてるっていうか。そのほうが好きだし。たとえば、自分でドラムを打ち込んだらそれが正解になっちゃうから、the studsだったら響に「なんかいいフレーズないかな?」って聞いて叩いてもらって、「それいいじゃん!」みたいな。それに合わせて自分のフレーズを考えたり。
――そうだったんですね。すみません、最後と言いつつ、もう一つだけ! 超個人的な質問なんですけど、おれ、aieさんの作曲ではないけど一生聴き続けるだろうなっていうのが、Lamielの「裁きの天秤」とkeinの「グラミー」なんです。両方とも、低音源がうねうねしているようなリフで。それって、どうしてああいうリフになっているかを聞きたくて。
19歳とか20歳の時だから、まだ自分の技術を確立していない時期というか、何も考えずにその時できることを弾いていたと思う。先輩たちに呼ばれて乗った船だからね。自我ができたのはdeadman以降。Lamielは、胸を張って僕が弾いていますとは言いづらいかな。子どもだったから。自分で自覚して自我が出たのはdeadman。いわゆる、自分の“味”とか。こういうアプローチなら戦えるんじゃないかな、みたいな。Lamielもkeinも人気が出た理由が当時はわからなかったから、調子にも乗ったけど、それ以上に戸惑ったし。
――それが、先刻のインタビューの「自分の中心にあるのはdeadman」という発言につながっているんでしょうね。ツインギター体制じゃなくなって、自分で全部背負う矜持みたいなものが生まれたのかもしれません。
たしかに! deadmanで、自分が音楽を続けていく道っていうのが見え始めた気がしてる。
<aieさんのバンドの情報は下記リンクからチェック!>
https://davidskullnorecords.net
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